[映画評]「同じ下着を着るふたりの女」…険悪な関係の母娘が探す「解放」への道筋

 母と娘のひと筋縄ではいかない関係を描いた、韓国発の注目作。ずっとふたりで暮らしてきた彼女たちは、お互いから自由になって、自分の人生を手に入れたいと思っているのに、うまくいかない。一体何に縛られているのか。この映画は、ふたりの間で起きた「事故」の真相に分け入りながらそれを照らし出す。希望のありかを凝視させる。(編集委員 恩田泰子)

 新鋭、キム・セイン監督による長編デビュー作。20代後半のイジョン(イム・ジホ)は、母親スギョン(ヤン・マルボク)と団地住まい。おそろいの服を着る仲良し母娘……というわけではなく、その関係は、むしろ険悪。母は、何かと娘につらくあたり、激高すると口だけでなく手を出してくることも珍しくない。

 そして、ことが起きる。車の中でけんかになり、外に飛び出した娘を母がはねてしまう。ハンドルを握っていた母いわく、それは車のせい。突然発進したのだという。だが、娘は故意だと疑わず、母にとって不利な証拠を裁判に出す。

 真相はさておき、このお母さんと一緒の生活はきついかも――。映画冒頭からそう思わせる描写が続く。直情径行、傍若無人。再婚を考えている恋人の前ではロマンチックな一面も見せるが、女であることを懸命に謳歌(おうか)しようとする姿は時に痛々しい。赤という色は象徴的だ。赤く染めた白髪、赤い縁取りのある下着、赤い酒、赤い車……。赤は娘にとっては複雑な記憶を喚起させる経血の色でもあるのだけれど。

 物語が進むにつれて浮かんでくるのは、なぜ娘は母のもとで暮らし続けてきたのかという疑問だ。若く見えるが、もう30歳手前。仕事もしている。苦しみながら同居を続けているのは一見、矛盾がある。

 だが、実はその矛盾の中にこそ、親と子、母と娘、人間と人間の関係の、ままならない真実があって、この映画は、そこに目を凝らす。ふたりの日常を追いかけながら、彼女たちが互いに求めているものを浮かび上がらせる。イメージと言葉の連鎖、そして演じる女優たちの肉体をたくみに使って。

 窓を開けた時に吹き込む風、雲の隙間から差し込む光を前に、母と娘がそれぞれ見せる表情は、両者が「解放」を望んでいることを示唆しているし、実際に母は再婚、娘は同僚の女性に救いを求めようとする。だが、単なる物理的な移動や他者への依存は、この2人とっての本質的な解決をもたらさず、新たな堂々めぐりへの予感さえ漂う。

 では、出口はどこにあるのか。監督は、人間模様をスリリングに見せた果てに、停電の夜のシーンへと観客を引き込む。暗闇の中にあってもきちんと目を凝らせば、浮かび上がってくるものがあるということを、体感させるかのように。母と娘の関係を真摯(しんし)に見つめた物語から、人間という、愛を乞う生きものの輪郭が見えてくる。

 目にもの言わせる娘役のイム・ジホの演技も印象深いが、あけすけな母を堂々演じるヤン・マルボクがすごい。彼女が演じる母親をただの安っぽい女と見くびっているとガツンとやられる。スリップ1枚で冬の街を行く場面の、奇矯だがどこか気高い姿に打たれる。

 脚本も手がけたキム・セイン監督は1992年生まれ。韓国映画アカデミーの卒業制作として本作を撮り、2021年の釜山国際映画祭では、長編2作目までの監督を対象にしたニューカレンツ部門の最高賞や観客賞などを受賞している。

「同じ下着を着るふたりの女」(英題:The Apartment with Two Women)=上映時間:2時間19分/韓国/配給:Foggy=5月13日から東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。

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