武田真治 ピタTブーム生んだ若手時代の貧乏生活「劇団練習生さんみたいな人と同じ給料とか」

 俳優の武田真治(50)が、12日放送のフジテレビ系「なりゆき街道旅」(日曜正午)にゲスト出演し、ファッションリーダー的存在だった若手時代を振り返った。

 「ハライチ」澤部佑をナビゲーターに、ゲストが街ブラロケを楽しむ番組。「ロッチ」コカドケンタロウとの3人で、千葉・館山を旅した。

 いしだ壱成とともに、中性的な魅力で「フェミ男」ブームを作った武田。コカドは「切り抜きを(美容院に)持って行って、“この髪形にしてください”とか、みんなそうだった。着るファッションもみんな、まねしてた」と振り返った。

 フェミ男ファッションの軸になっていたのが、「ピタT」「ピチT」と呼ばれた小さなサイズのTシャツを着るというもの。武田はその先駆者だったが、それにはある切実な理由があった。「洋服屋の友達が、レディースでも売れなかったっていう小さいTシャツをくれて、ピタTを着てたという」。コカドが「仕方なく着てたんですか?」と驚くと、武田は「それしかなかった」とぶっちゃけた。

 武田は「コンビニとか行ったら、自分の顔がいっぱい雑誌の表紙になってる時期はありました」というが、「女の子をデートに誘う時間もないし、お金もなかったんですよ」と、せっかくのモテ期を有効活用できなかったという。

 また、特殊なブレークの仕方から、経済的には苦しかったそうで、「ホリプロとしても対応できる前例がないというか。だから、給料どれくらい渡していいか分からなかった」とも話した。超多忙だったにも関わらず、「劇団練習生さんみたいな人と同じ給料とかだったりしたので」というアンバランスな日々。ピタTを譲ってもらい、着ることになったのにも、そんな裏事情もあったといい、「ちょっと精神破綻しましたね。わけ分からなくなっちゃって」と明かした。

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