シンガー・ソングライター有賀啓雄さん、前立腺がんで死去 58歳…小田和正のベーシスト、藤井フミヤや渡辺美里に楽曲提供

 シンガー・ソングライターでコーラスポップユニット「SANISAI」のメンバーでもある有賀啓雄(のぶお)さんが、2月27日に亡くなったことが5日に分かった。享年58歳。「SANISAI」の公式ホームページ(HP)で公表された。

 「SANISAIに関するお知らせ」と題して報告され「皆様に謹んでご報告いたします。かねてより病気療養しておりました、SANISAIのベース有賀啓雄が、2月27日に永眠致しました。享年58歳」と訃報を伝えた。

 メンバーの村井伸吾と山田和嘉子、山田隆平が連名でコメントを発表。「音楽的にはもちろんですが、本当にたくさんの愛と希望を与えてくれました。これからもSANISAIの中に、有賀は永遠に生き続けます。まだまだ実感がなくて、受け入れるには時間がかかると思いますが、残された僕ら3人はこれまで与えてもらったすべてを、これからの活動の糧にし、新たなSANISAIサウンドの追求に勤しんでまいりたいと思います」とつづられた。

 有賀さんの公式ツイッターでも、妻の有賀千佳子さんが死去を伝えた。それによると、昨年夏に「前立腺がん末期」と診断され、自宅で治療やリハビリを行ってきたが「身体の衰弱のため復帰はかないませんでした」という。「最後はとても穏やかに旅立ちました」とつづられた。「愛する音楽の世界でプロデューサー、ベーシスト、作詞、作曲、編曲、シンガー・ソングライターとして、沢山の素晴らしい皆様とお仕事させていただいたことは、本人にとってとても幸せな人生でした」と周囲に感謝。3日に家族葬を終えたことも併せて報告した。

 有賀さんは原田真二、崎谷健次郎のバックバンドを経て、1987年にシングル「雨色の僕と君」でデビュー。96年には米米CLUBの石井竜也、ギタリストのCharと音楽ユニット「ACRI(アクリ)」を結成した。作曲家や編曲家、音楽プロデューサーとしても活躍。藤井フミヤと旧知の仲でも知られ、「WHITE BABE」や「何もない部屋」などの作曲を担当。渡辺美里や薬師丸ひろ子など多くの歌手に楽曲を提供した。また小田和正のバックバンドでもベースを務めていた。

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