MISIAは19歳でデビューし、今年で歌手活動25年。司会の黒柳徹子から「あなたはご両親がお医者さまでお兄さまもお医者さま、お姉さまは歯医者さん」と紹介されると、MISIAは「そうです。みんな医者で“みいしゃ”って言われてます」と笑ってみせた。
コロナ禍では医療従事者に弁当を届けるといった支援活動も行っていたため、黒柳が「それが支援の思いにつながったって言うことはあります?」と問われると、MISIAは「発熱外来を立ち上げたりだったり、やはりこう一番リスクのあると言ったら変ですけど、現場で働いている話は聞いておりましたので、やはり他人事としては捉えていなかったということと、やはりライブを再開するにあたってやっぱり家族で何度も議論をしたというか、話し合ったりもしていたので」と回顧。
「やっぱりお互いに何とか助け合って、あの時代を乗り越えていくには、どうすればいいかっていうのを、凄く考えあってましたね」と明かした。
4歳から14歳までは離島に新しい医療を届けたいという父の思いで、長崎県の対馬に移住していたことも。「凄く自然が豊かで、(父は)離島でも最新の医療を届けたいという思いで」とMISIA。「責任を持って、仕事を何としてでもやり遂げるっていう、そういう姿を父や母の背中から教えてもらったので。とにかく今、自分ができることとどれだけ向き合って、しっかり誰かの力になることを仕事してやっていくのかっていうのは、凄く両親の背中を見て教えてもらいました」と説明した。
父については「家では無口な父なんですけど、働いてるところを見ると、ああ〜素敵だなあって。背中を見て育つって言いますけど、仕事をしてる姿を見ると大きいですよね」とも語った。