司会の黒柳徹子から「本当に多忙になったきっかけの一つが“どんだけ〜”だけど、あれ、なんでこんなことやるようになったんですか」と聞かれたIKKOは、「41の時にちょうどテレビに出させていただくようになったんですね。密着がきっかけで。それから『IKKOの幸せメイク』とかっていうのを不定期でやっていただくようになって。バラエティーを少しずつやらせていただくように」なったと振り返った。
準レギュラーとなったバラエティー番組ではモデルと共に出演していたといい、「ある時に、“お前ら、いつまでも笑ってばっかりじゃダメだ”って言われて、私もすっごい言われてるんだなと思って」との出来事が。「だけどオチも分からないし、何も分からないし、どうしよう、どうしようって」悩んでいた時期があったとした。
当時は美容室で自分のメークをし、髪のブロウをやってもらっていたとし、美容師からは「IKKOさん、どうしたんですか」と尋ねられると、「いやあ、あたし、振られてもしゃべれないしね」などと悩みを打ち明けた。すると、「2丁目で組合員の人たちが“どんだけ〜”って言ってるから、“どんだけ〜”やればいいんじゃないですか」と勧められたという。
「同じ組合員だから、許してもらえるんじゃないですか」とも言われたとし、「そしたらあたし、意外と真面目で。どんだけ、どんだけ、組合、組合、組合っていうのが頭にいつの間にかこびりついて」とIKKO。お笑いコンビ「ダウンタウン」の番組で、浜田雅功から「IKKOさん」と声をかけられた際に「あっ、どうしよう、どうしよう、どうしようが、5秒から10秒ぐらいあったような感覚があったぐらい長かったんです」としたものの、「なんか分からないんですけど、“どんだけ〜!”って言って、手が前に出て、緊張のあまり震えちゃったんですよね」とリアクションすることができたとした。
するとスタジオは大盛り上がり、「なんか不思議なくらい、次の日から人生が変わっていっちゃったっていう」としみじみと語った。
「どんだけ〜」はその後、2007年の新語・流行語大賞にもノミネートされるなど大流行。黒柳が「あれからもう16年ですか」と話すと、IKKOは「あっという間の16年で」と返答。「よく、“IKKOさん、どんだけ〜って、あせていかないね”って先輩たちから言われるんですけど、松尾(駿)ちゃんたちが、チョコプラさんたちがまた、復活させてくれてね。だから本当に私は人生のおみこしをまた担いでいただいてね、ありがたかなったなと思います」と感謝を口にした。