スイス生まれの映画作家ダニエル・シュミットが歌舞伎女形の坂東玉三郎を主役に日本で撮った、1995年製作の珠玉の映画が、デジタル修復版で改めて公開されることになった。玉三郎が舞台の上に現出させる女は、夢まぼろし。でも、その夢まぼろしが現実以上に確かな手触りをもって迫ってくるのは、一体どういうことなのか。この映画は、色を失うことのない秘密の花園へ観客を引き込む。(編集委員 恩田泰子)
芝居小屋。舞台にあらわれた美しい女を、舞台袖から男が見つめる。見つめるのも、見つめられるのも玉三郎。素顔の彼はカメラの前でこんな趣旨のことを言う。男の画家や作家が「書く」ように、女のエッセンスをあらわしていく。それが女形なのではないかと。
虚実の境を超える耽美的な作品で世界の映画ファンを魅了してきたシュミットは、この映画で、虚構の中にこそあらわれる真実を抱きしめる。女形、坂東玉三郎をめぐるドキュメンタリーであると同時に、玉三郎という共犯者とともに夢まぼろしの世界のまことを映し出す映画でもあるのだ。素顔の情景はふいに芝居めく。挿入されるフィクションパート「黄昏芸者情話(トワイライト・ゲイシャ・ストーリー)」の中では玉三郎が演じる夢の女の魂のふるえが切実に胸に迫ってくる。虚実はまるで鏡合わせだ。
舞踏家・大野一雄、女優・杉村春子、舞踊家・武原はん。それぞれの世界で女を表現してきた日本のレジェンドたちも登場する。撮影当時80代後半〜90代。だが、それぞれの姿を通して映し出されるのは枯淡の境地などというものではない。
体の芯にひそやかにしまわれた蜜。それが動きになってあふれ出す瞬間、あるいはその気配を、この映画はとらえている。蜜が人の魂のエッセンスだとすれば、もう1人のレジェンド、95年当時101歳の芸者、蔦清小松朝じの体は、もはや蜜だけでできているようでもある。それを目撃できるよろこび。
時は過ぎ、人の体は
製作から28年。うつろいつづける世界の中で、この映画の価値はいや増している。見終わった後、玉三郎丈と同時代を生きている幸福を改めて思う人も多いだろう。
◇「書かれた顔 4Kレストア版」=1995年/日本・スイス合作/カラー/94分/配給:ユーロスペース=3月11日から東京・渋谷のユーロスペースほか全国順次公開