札幌での芸人活動を経て、30歳で東京に進出した。上京して所属事務所を探したが年齢制限を設けているところもあり、雇ってくれる事務所がなかったという。気が付けば33歳になっていた。「バイトを週6、7回行って。毎日ギャンブルに行っていた記憶が強い」と当時を語った長谷川。同級生の中には会社で昇進したり、家庭を持つ人もいた。そんな時に「今いるSMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)がお笑い部門を立ち上げるって話を聞いて、面接に行ってみようか」と感じ、会場に向かった。
その時、SMAのお笑い部門は年齢制限もオーディションもなし、面接先にたどり着ければ「全員所属」だったそうだ。長谷川はそのままSMAに所属したものの、芸人仕事はほとんどなかった。30歳〜40歳の時期を「あんまり覚えていないんですよ」とし、「アルバイトとギャンブルしかしていなくて。この10年間が暗黒の10年間というか、戻りたくない10年間というか、非常にヤバかった時期」と率直に語った。
長谷川が頼るのはいつも、母・幸子さんだった。「僕が30から40歳の間で、ギャンブルやっていたってせいもあるんですけど。母親に電話してお金をせびっていた」。電話をしては「5000円貸して。1万円貸して」とお願いした。「母親が、僕から電話がきたら出るの嫌で嫌で仕方がなかった。お金貸して、しか言ったことがなかった。だから、相当迷惑かけたし心配かけたし、とんでもないと思われていたと思います」と顔をしかめた。
VTR出演した幸子さんは、「お笑い芸人になろうとさ、なんであろうといいんだわ。人に迷惑を掛けたら困る。だから(お金を)送ってって言われたら送るわけさ」と回顧。母の支援をよそに、長谷川はギャンブル・バイトの日々だったといい、「その間に後輩に抜かれている。クソ、やられた!というよりは、似たような環境の人とお酒飲んで笑っていた。現実逃避ですね」と赤裸々に話していた。