96年アトランタ大会から00年シドニー、04年アテネと、3大会連続で金メダルを獲得した野村氏。特にアテネ大会はアジア人初の五輪3連覇という偉業も加わった。
ところが、時おりしも、女子でYAWARAちゃんこと谷亮子氏の全盛期。しかも、ともに最計量級だったため、ほぼ同タイミングで決勝戦が行われるという不運だった。野村氏は「毎回、同じ日にYAWARAちゃん」と振り返った。
今でも後悔が尽きない出来事は、3連覇を達成した直後の出来事だった。試合後にはミックスゾーンと呼ばれる取材エリアで、テレビメディア、ペン記者の取材を受ける。野村氏は「直後にミックスゾーンでインタビューを受けて、喜び、感動、悔しさを最初に話すのがミックスゾーン」と、その大切さを熱弁した。
アテネでは、谷氏が最初にミックスゾーンへ行き、その後に試合を終えた野村氏が続いた。「YAWARAちゃんが最初の1局目(のテレビ局)で、ずっとしゃべってる。私はその横で、3連覇して最高の気分で立たされているんです」。しばらく待つも、終わる気配のないインタビューが続く。野村氏は「ちょっと待った。だんだん、“早よせえよ。いつまでしゃべってんねん”と」と、しびれを切らせ始めたという。
我慢の限界が来た野村氏。「イライラの限界が来て、どうせ後で公式の記者会見があるから、その時にしゃべればいいやと思って。YAWARAちゃんがインタビューを受けている後ろを通って、ミックスゾーンをスルーしちゃったんです」。取材を受けずに引き揚げてしまったという。
ミックスゾーンは、過去の五輪でも五輪出場選手の名言が飛び出してきた、貴重な取材機会でもある。それを無駄にしてしまい、野村氏は「よくよく今、年を重ねてその時を振り返ったら、3連覇を達成した直後のインタビューがないと」と反省。「あの時、感情のままにミックスゾーンで話していたら、ドえらい名言が飛び出ていたかもしれない。そういう名シーンには一切(自分のインタビューが)出てこない」と悔やんでいた。