野々村真 コロナ闘病生活を涙で告白 入院中は食事も「命がけ」ICUでは「死んじゃうのかな」

 タレントの野々村真(57)、俊恵(58)夫妻が14日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月〜金曜後1・00)にゲスト出演。新型コロナウイルスの闘病生活を振り返った。

 真は昨年7月、PCR検査で陽性が判明したため自宅療養していたが、その後、病状が悪化。医療ひっ迫で救急搬送を2度、断られた後に8月に入院し、一時集中治療室で治療を受けるまでになった。その後、快方へ向かい、同月末に退院していた。

 真は感染した当初の様子について、「あと2日後にワクチンを打つ予定だったんですよ。2回目の。その2日前に高熱になって、息苦しくなって。そのまま部屋で苦しい状態がずっとまるまる1週間近く続くんですけど。驚いたことに呼吸がどんどんどんどん苦しくなっていくんですね」と明かした。家庭内で隔離して療養していたため、俊恵は「本人がどういう状況か全くわからなくて。ほぼ接触がなくて」と連絡もLINEで取っていたと説明。「食事が全く取れなかったので」と経口補水液やゼリーしか口にすることができなかったという。

 真はその後入院することに。血中濃度が下がったために連絡すると、区の救急隊員が駆けつけてくれたし、俊恵は2階窓から真を見送った。「その姿がガリガリに痩せた、おじいちゃんだったんです。ヨボヨボしながら乗って。これ本当にパパなのって思いながら」。その後、真の使っていた部屋に入ると、ペットボトルや着ていた洋服はそれぞれ袋に入れて片付けていたとし、「切なくて切なくて」。洋服は「もし何かあったときにこれが最後のお洋服になるかもしれない」と退院して帰って来るまで取っておいたとした。

 入院後は酸素マスクを着用し、外すと血中酸素濃度が下がるため食事を食べる事すら「命がけ」だった。トイレに行く際も完全防護した看護師が付添わなくてはならず、「呼ぶたびに着替えて入ってくれて。24時間体制で過酷な治療、介護をしてくれてますんで、本当に申し訳なくて」。迷惑をかけまいと葛藤があったが、トイレを我慢することも危険なためにしないように言われたという。「それが3週間ですよ」と続けた。

 俊恵は「最初入院した時は、やっとこれで回復に向かうんだなと思っていたら、何日かたったら朝電話が来て、『ご主人様は重症者リストに登録しました、これからは大変です』って。えっ、重症者リスト、よくなってるんじゃないのって。そこから転がり落ちるようにひどくなって、集中治療室に行って」。病院に行くことはできず、連絡手段はLINEだけ。娘のモデル香音はホテルを借りて住むなど家族はバラバラに滞在していたとし、「家族みんな違うところから励ましのLINEを毎日何回も送るんですけど、既読がつかない日とかもあって、読んでないんだって心配で心配で」と話した。

 真は「そういう状態になってたんだってね。ICUに運ばれたときはもうろうとしてて。お医者さんが『急げ急げ』って話してて凄くあわただしい状況になったのを覚えてるんで、『あっ、俺やばいのかな。もしかしたら死んじゃうのかな』っていうのを思って」そのまま記憶がなくなった。記憶が戻ったのは翌日、ICUの中だったとした。

 俊恵はその際、医師からは「峠だ」と言われていたとし、「峠が結構ずっと長く続いていて。いつになったらこの峠が越せるんだろうって。本当に朝になるのが怖かったです」。真が我に返ったのはICUから出てしばらくたってからだったが、「記憶が戻ったとしても、なかなか手が勝手に動かせないもんですから」と両手に治療薬や採血のための5本の管が入っていた。何回も泣いたと言われると、「泣きました。もうダメかっていうのがあったんで、気持ちの起伏が、凄く明るくなっている時もあるけど、寂しくなったり思い詰めちゃったりするんですよ」とし、看護師の何気ない会話に救われたとした。

 入院中は医療従事者のありがたさが身に染みて分ったという真だが、関係者からは退院の際「なるべく早く退院した方がいい。身内の方と今まで通り過ごした方が回復力が早いんです」と言われたという。「やっぱり違うんです。帰った日、家族の顔見て。『パパ良かったね』って聞いてるだけで、うれしくて、元気が湧いてくるんですよね」と涙。「本当に今でも家族って凄いなと思いましたね。病院では精神状態が不安定なことが続いたけど、家族の顔を見た瞬間にそれがなくなって、頑張ろうしかなくて。それからは回復が早くて。家族のために頑張ろうという気持ちが湧いてくるし」としみじみと話した。

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