警察から脱走 犯人は逃走中堂々と「日本一周中」を掲げた

2018年8月12日午後9時半ごろ、大阪の警察署内で一人の男が脱走した。

男の名前は樋田淳也(当時30歳)。 樋田は若い女性ばかりを狙った暴行、脅迫、強盗致傷などの罪を犯し逮捕、拘留されていたが、厳重なはずの警察署から脱走しさまざまなメディアに連日取り上げられた。警察は約3000人態勢の捜索を続けたが樋田は見つからなかったという。

強盗致傷などの容疑で逮捕された樋田は富田林署の留置場に勾留され、連日取り調べが行われていた。複数の容疑が明らかになり勾留中に3度逮捕された樋田は、勾留期間が延びていく中、脱走の機会を伺っていた。

樋田は警察官の当直シフトをカレンダー形式でメモし監視のゆるそうな日をチェックし、風呂場で換気扇カバーの一部を手に入れた。さらに貸し出された服のファスナーの一部を手に入れ、それらを使いトイレにあった間仕切り板を固定する部分が削り取れるかを確かめていた。

のちに、これらの行動が脱走の準備だと推測されている。

脱走当日、弁護士との面会を終えた樋田は「面会終わったこと、僕から(警察官に)言うときますわ」と弁護士を外に出した後、トイレの間仕切りと同じ要領で板の隙間を埋める接着剤を削り取り、その後、署内にあった白い靴に履き替え警察署の裏側を抜け留置所の塀を越え脱走。

このとき、部屋の近くに2人の警察官がいるはずだったが担当の警察官の1人は休憩に入っており、もう1人は持ち込み禁止のスマホでサイトなどを見ており面会が終わったことに気づいていなかった。

そして、樋田が逃げたこの面会者側のドアには本来、開け閉めの度にチャイムが鳴る仕組みだったが、1年以上前電池を抜き、作動しないようになっていた。

さらに、間仕切りの板はポリカーボネートという頑丈な素材なのだが設置後30年以上、まともな点検がされていなかったのだ。

こうして樋田は誰にも気づかれず外へ出て自転車を盗み逃走を続けていた。しかし警察は樋田が徒歩で逃げていると思い、富田林警察署付近にのみ緊急配備を敷いていた。

このとき樋田は羽曳野市で白い自転車を盗み乗り換えたと見られ、すでに緊急配備区域の外に逃げていたと思われる。

警察は8通りの樋田の似顔絵を一般公開し、左のふくらはぎにはうさぎのタトゥーが入っていることも公表した。

一方樋田は、大阪から遠く離れた広島県と愛媛県を結ぶしまなみ街道にいた。まるで警察をあざ笑うかのようにツーリングを行い、愛媛県庁の「自転車新文化推進課」に行き、自らを日本一周中の人物だと名乗り、ラミネートされた「日本一周中」と書かれた札をもらっていた。

脱走前と比べるとかなり日焼けをしていた樋田は、和歌山出身で日本一周をしている「さくらいじゅんや」という架空の人物を装い、堂々と日本一周を装い逃げていたのだ。

樋田はバレない自信があったのか人懐っこく接していたといい、同じく自転車で日本一周をしている男性に声をかけ、道中を一緒に行動していたという。

当時のことをその男性は「(樋田と知って)びっくりしました。単純にびっくり。人懐っこい、子供っぽい。よく喋る。怪しいとかそういうのはまるっきり」と言う。そうして2人で行動するようになり、お遍路をしながら寺に宿泊することや、地元の人を手伝いお金をもらうこともあったという。

同行した男性と香川県に着いた樋田。

樋田は万引きを繰り返しながら旅を続けていたとみられ、樋田の逮捕後の所持品はバリカン、時計、靴や衣類、シュノーケルまであったという。

逃走18日目、同行していた男性と一時行動を別にした樋田は高知県で警察に声をかけられるが、樋田とバレることなく乗り切った。これで捕まらない自信が強くなったか、再び愛媛県庁を訪れ、旅の感想を伝えたという。

その頃、警察はまだ大阪府内を3000人の捜査員で捜索が続いており、新学期が始まり保護者らは不安をつのらせる。そんな中樋田は、今度は高速船に乗り広島へ向かい、別行動していた男性と合流し、広島や山口を観光していたという。

一体この樋田という男はどんな人物だったのか?

1987年生まれ。幼少期は明るい子で、自衛官になるのが夢だったというがいつからか素行の悪さが目立つようになり警察に追われ、実家の屋根から逃げたこともあったという。

樋田は主にバイクを使ったひったくり容疑を繰り返しており若い女性を狙うのが手口で、同じ日に何件も犯行を繰り返していた。4年半の刑期を終え出所したばかりだった樋田はまたもや若い女性を狙った犯行を繰り返していた。

今度は女性の部屋に侵入し暴行を働き、バイクのナンバープレートを盗みわずか3時間ほどの間に6件のひったくりを行い、さらに女性に暴行を加え、犯行翌日、捜査員により逮捕されたのだった。

そして脱走後、樋田が長期間留まったのが山口県の周防大島町。人口約1万5千人で、島を1周する道路は約90キロと瀬戸内海で3番目に大きな島で、そこで滞在していたのが道の駅「サザンセトとうわ」。

道の駅の支配人、岡崎さんに話しかけられた樋田は「うちら和歌山から日本一周してるんです」と答え、自転車好きだという岡崎さんと仲良くなったという。その頃の樋田は岡崎さんにPR用の写真を撮ってもいいかと聞かれ、口元を隠しながら写真撮影にも応えていたと言う。

樋田の脱走事件のことは知っていた岡崎さんだが、全くの別人に見えたとのちに答えている。

樋田は道の駅のカンボジア料理を営むリム・ピセイさんから料理をもらったりと居心地が良かったのか1週間以上滞在。道の駅を拠点に島を観光したり近くの海で牡蠣や魚を取って食べていたりしたという。 さらに、観光客を捕まえてはおしゃべりまでしていたという。

それでも一向に捕まる気配のない樋田は、写真撮影時に顔を隠さないようにもなっていた。当時のことを岡崎さんは「逃亡者として顔を隠そうとしなかった。結構オープンになってきていたというのは感じます。だんだん自分はばれないんじゃないかって意識が芽生えてきたんじゃないですかね」と振り返った。

ピセイさんも「日本一周終わったらまた再会という話もしてくれた。ピセイさんを見ていたらすごく幸せになるから僕もピセイさんみたいになりたいと言ってくれた。残念でした」と振り返る。

樋田はこの島を発つときに、2人に手紙を残していたという。その手紙には「支配人の岡崎様を筆頭に道の駅の従業員の皆様の優しさに居心地が良く、ついつい甘えてしまい日本一周の旅が停滞してしまいました。必ず日本一周を達成します。櫻井淳也より」と書かれていた。

この頃には警察OBが中心となり、200万円の懸賞金がかけられていた。

その後、樋田は山口県をさらに進み九州方面へ。樋田は万引きを繰り返し、生活を続けていた。

そして脱走から48日目。山口県周南市の道の駅「ソレーネ周南」で樋田は逮捕されることになる。

その日も樋田はまるで当たり前のように万引きをしようとしていたところ、万引きGメンによって万引きが発覚。「まだ精算お済みでないものお持ちですよね」 と事務所に連れていかれる樋田は、大暴れし、店員たちに取り押さえられる。

暴れる様子を見て普通の万引き犯ではないと思った店員たちは警察に連絡し、警察が到着。警察はこの時点でも、男が世間を騒がせている脱走犯・樋田淳也だとは気づいていなかったがのちの調べで発覚。

こうして48日間の逃走の末、樋田は逮捕された。逮捕時の所持金は280円ほどだったという。

その後樋田は、逃走前の暴行・脅迫や、強盗致傷、そして留置場を損壊させ逃走した罪、逃走中の窃盗など合計21件の罪で起訴された。逃走し続け社会的に不安を与えたということも踏まえ、今年3月、20件が有罪、懲役17年が確定した。

一方ずさんな管理体制があった大阪府警は富田林署署長を更迭するなど14人を処分した。全国の警察では再発防止のため、留置施設の緊急点検を行うなど対応を行ったという。

若い女性ばかりを狙い、時に暴行までした樋田の卑劣な犯行。そして、罪を償おうとせず、脱走し多くの人の善意を欺き逃走を続けたことは絶対に許されることではない。

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