講談師の神田伯山(40)が20日、都内で行われた、昨年10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さんの軌跡を追うドキュメンタリー映画「アントニオ猪木をさがして」(和田圭介、三原光尋監督、10月6日公開)完成披露試写会に出席した。
映画は、猪木さんが設立した新日本プロレス創立50周年記念企画で製作された。猪木さんに影響を受け、追い続ける人物が“旅人”として語るドキュメンタリー、ファン視点から描く短編映画、貴重なアーカイブ映像やスチールの3要素で構成される。
伯山は劇中で、1987年(昭62)10月4日に行われた、猪木さんとマサ斎藤さん(08年に75歳で死去)が死闘を繰り広げた伝説の“巌流島決戦”を講談として披露した。オファーを受けたときの心境について「とにかく恐れ多い」と話し、「いいのかな? 俺みたいな者がって思いはあったんですけど、ここで遠慮したら一生後悔するなって」と振り返った。映画出演の話を聞いてから承諾するまでの時間を聞かれると「うーん、1分くらい」と答えて観客を笑わせるも、「でもその1分はすごく考えました。他にふさわしい人がいるんじゃないか? とか。ただ、代わりのやつが、自分が気に入らないやつだったら嫌だなって」と、当時の胸の内を語った。
激闘の舞台となった山口県下関市の巌流島での撮影を振りかえり「大変だった。だまされた」と不服げ。「雨が降ったら、あのロケ全部だめだったんですよ、でもなぜかスケジュールが梅雨の時期なんですよ。もうだめじゃんと思って」と話し、「でもその日だけ降らなかったんですよ。朝はちょっと降ってたんですけど、やるってなった時にぱーっと晴れて」と語った。「4時間くらいで全部撮らなきゃいけなくてとにかく『急げ急げ』だったんですけど、島の周りを船が回遊してたり、かがり火が落ちちゃって燃やせってなったり、僕の襟が乱れていたり。時間との勝負なのに常に何かで待ってて。最後1、2分で奇跡的に撮れました」と、慌ただしい撮影だったことを明かした。和田監督も「もうこれ以上は撮れないというところで、ちょうど終わりました」とうなずいた。
◆巌流島決戦 1987年10月4日に無観客で行われ、午後4時30分に試合開始。午後5時58分、かがり火に点火した後、まきで猪木さんが左目上を切ると、斎藤さんも頭突き7連発で額を割るなど両者とも血まみれ。午後6時半過ぎ、猪木さんがリング下で斎藤さんの頸(けい)動脈を裸絞めで絞り上げると、抵抗していた斎藤さんは動かなくなり、2時間5分14秒の死闘の末、斎藤さんの戦意喪失で猪木さんが勝利。