美川憲一、育ての母と産みの母が同居の7億円豪邸「親孝行して、家を建ててやらなきゃ」

歌手美川憲一(77)が7日、TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月〜金曜午前5時)の「カチタスpresentsおうちつなGO!」コーナーにゲスト出演した。

美川には母が2人いて、育ての母が姉・米子さん、産みの母が妹・以し子(いしこ)さんという。実父には別に家庭があったため、以し子さんは未婚で出産したが、肺結核を患って、当時2歳だった美川を姉の米子さん夫婦に託した。

住んでいた家の話題になり、美川は「家が都電の南佐久間町駅(現新橋1丁目)の近くにあり、持ち家だったんですけど、トタン屋根のね。お風呂もなく、雨漏りして、洗面器を置いたりバケツを置いたりして音がポターン、ポターンと落ちるから、タオルを敷いてやりましたよ。昭和です。早く親孝行して、ちゃんと家を建ててやらなきゃいけないなって子供の頃からそう思ってましたね」と懐かしそうに振り返った。

「新橋のあの家で雨漏りとお風呂のないところで、子供の頃から自立心が。何とか家建ててって。そう思ったけど、なかなか家建つまで時間がかかったんですよ。でもやっぱり家を建てるってエネルギーが、大変ですよね。でもそれはやっぱりね、夢ですからね。それで、そこで『柳ヶ瀬ブルース』(1966年)がヒットしたんですよ。『新潟ブルース』(67年)くらいまではいたんですよ」。

芸能界で成功を収めた美川は、47歳の時に育ての母・米子さんへの恩返しのために、7億円と言われた豪邸を建設した。そこに生みの親・以し子さんも同居したが、96年に米子さん、06年に以し子さんが亡くなった。残す人がいない美川は豪邸を一昨年12月に売却し現在、都内に購入したマンションで暮らしている。

美川のサクセスストーリーに、パーソナリティーの生島ヒロシ(72)も「う〜ん、分かりますよ。一国一城の主」と大きくうなずいていた。

美川はマンスリーゲストとして、毎週月曜に登場する。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね♡
URLをコピーする
URLをコピーしました!

この記事を書いた人

アフィリエイター初心者です!よろしくお願いします。

目次
閉じる