22日に急性大動脈解離のため死去した落語家でタレントの笑福亭笑瓶(本名・渡士洋=とし・ひろし)さん(享年66)の告別式が27日、東京・築地本願寺で行われた。笑福亭鶴瓶、山田邦子ら芸能関係者約200人が参列し、一般約200人のギャラリーも同所に集まり、最後のお別れをした。
午後2時すぎ、斎場から白色の棺が運び出された。親族や、「太田プロ」の後輩芸、笑瓶さんが亡くなる直前まで長年レギュラー出演していたBS―TBS「噂の!東京マガジン」(日曜・後1時)のメンバーらに見守られ、霊きゅう車が火葬場へ出発した。
告別式では、1981年から笑瓶さんの師匠である笑福亭鶴瓶が、告別式で弔辞を読み上げた。参列者によると、鶴瓶自身は涙を流さず、手元に紙なども用意せずに、アドリブで笑瓶さんに語り掛けるように弔辞を読んだという。参列後、鶴瓶は黒色のハンチング帽を外し、報道陣に向かって何度も会釈を繰り返し、出棺前に会場を後にしていた。
参列したモト冬樹は、鶴瓶の弔辞について「すごくグッと来ました。笑いもあって泣けて、『師匠にしてくれて、ありがとう』という言葉が中でも一番印象に残っています」と明かし、「(笑瓶さんは)独特のユーモアがあってすごいアイデア持ってる人。笑瓶ちゃんが亡くなるイメージがなくて。笑瓶ちゃんの分までしっかり生きようと思います」としみじみと語った。
鶴瓶は、25日に笑瓶さんの死後、初めて大阪市内の寄席小屋「無学」でトークイベント「帝塚山・無学の会」出演後に報道陣に対応。26日には、東京・築地本願寺での通夜後にも報道陣の前に姿を見せ、「師匠より先に逝くなんて」と悲しみをにじませながらも、「きっと本人が気にしている奥さんや、弟子のことは心配せんでいいと。そう伝えてやりたい」と、まな弟子を気遣うなど気丈に対応していた。