涙声ではなく、落ちついた様子で、笑瓶さんの遺影に語りかけるように読んだという。太田プロに入る経緯などを盛り込み、「早く売れたなあ」など語りかけた。参列者からは笑いも起きるなど、悲しみをこらえて弟子に手向けの言葉をおくった。
亡くなった当日について「うちのやつ(鶴瓶夫人)と駆け付け、(奥さんが)顔触って、まだ温かいよねと…自分は手を触った」などと振り返り、「師匠にさせてもらってありがとう」「とにかく安らかに眠ってください。ありがとう」とした。
1981年、29歳だった鶴瓶のもとに、24歳の笑瓶さんが弟子入り。1年半で何度も弟子入り志願に来た笑瓶さんの熱意に負けた。「弟子を育てる自信もなくて3回断ったが、師匠(笑福亭松鶴さん)が上方落語を盛り上げるために取れと。すぐに大阪でも東京でも人気が出た。師匠も喜んでいると思う」と語った。
昨年12月10日には一門で集まったという。弟子の筆頭が笑瓶さん。「弟子たちに何か伝えたい時には笑瓶から言ってもらうことがあった。筆頭がいなくなるのは悲しい。師匠より先に逝くって、おかしいじゃないですか」と悔しそうな表情を浮かべた。
26日の通夜参列直前までニッポン放送「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」の生放送に出演。番組のほとんどを思い出話に費やし、笑瓶さんが好きな曲をかけた。鶴瓶は放送終了後、弔辞について本紙の取材に「(内容は)何も決めていない。その時に思ったことを言うでしょうね」。ショックが大きく、言葉をまとめきれない様子だった。「ずっとあいつのことを考えてるの。なかなか重たくて…。こびを売ることはないし、深い愛情があった」と思いを馳せ、「本人が気にしている奥さんや、弟子のことは心配せんでいいと。そう伝えてやりたいです」としていた。