小学生のころに大ヒット曲「黒ネコのタンゴ」のレコードを購入。「だんだん自分で口ずさむようになってきて、“歌、楽しいじゃない?”って思うようになって。毎日いろんな方のレコードをかけて歌うようになった」と、音楽の楽しさに目覚めたという。
ある日、駅の看板に小さく「渡辺プロダクション東京音楽学院名古屋校」ことに気付き、母と見学に行ったところ、その日がちょうどオーディション日。既にオーディションは終わっていたが、スタッフから「今日、終わっちゃったんだけど、なんだったら受けていきますか?」と促されて飛び込みで受け、合格したという。
学校の月謝が上がることを機に、両親の説得で一度は辞めたが、高校生になっていたある日、新聞広告で再び渡辺プロのオーディションの告知を発見。「これを最後に歌とか何とか言わないから、このオーディションを(受けたい)」と両親に頼み込み、受験したところ、またしても合格だった。
オーディションには、フジテレビのスタッフも見学に訪れていたという。というのも、合格者を当時のオーディション番組「君こそスターだ!」に誘うためだった。ところが、石川は校則に厳しい学校に通っており、「“すみません。こういう事情があって出ません”とお断りした」という。そんな石川に、スタッフは「『君こそスターだ!』は名古屋では放送されてないよ」と出演をプッシュしてきたといい、「映ってないんだったら、出ちゃってみちゃおうかな?」と出演を決めたことを明かした。
石川は番組の第1週で歌詞を忘れるトラブルがありながら、最終的には7週勝ち抜いてグランドチャンピオンに。夢だった芸能界への道を自ら切り開いた。