吉本興業は25日、漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」のおかゆうた(本名・井元保則=いのもと・やすのり)さんが今月22日、脳内出血のため大阪市内で死去したと発表した。61歳だった。
通夜は26日午後7時、告別式は27日午前11時、大阪府堺市の堺中央メモリアルホールで執り行われる予定。喪主は長男の井元拓斗(いのもと・たくと)さん。
ゆうたさんは鹿児島県出身。1981年、吉本新喜劇の人気座員だった岡八郎に弟子入りした。1983年、NSC(吉本総合芸能学院)を1期生として卒業した後に岡八郎に弟子入りしたおかけんたとコンビを結成。86年に「第17回NHK上方漫才コンテスト」優秀賞を受賞。同年から心斎橋筋2丁目劇場に出演し、1987年に放送が開始された毎日放送「4時ですよーだ」にレギュラー出演し、人気を得て、ダウンタウンらと「2丁目ファミリー」として活躍した。
「4時―」の終了後は、なんばグランド花月など劇場を中心に活動し、けんたの「ええ声〜」で繰り出すボケに的確にツッコみ、97年に「第32回上方漫才大賞」奨励賞、99年に「第34回上方漫才大賞」大賞を受賞。12年に吉本百年物語10月公演「これで誕生!吉本新喜劇」にも出演した。
やせているけんたと対照的に、ぽっちゃりした体格が特徴だったが、20年ごろに体調を崩してコンビでの活動は休止状態になっていた。今年8月15日、大阪・YES THEATERでの「よしもとお笑いライブ」コンビ結成40周年のプロローグとして漫才を披露したが、これが最後の舞台となった。
公演終了後は「40年はほんまにあっちゅうまでした」「1日でも長くやりたい」などと話していた。
相方・けんたは以下のコメントを発表した。
「週3で透析を受けていた、ゆうたくん。私が劇場にいると、『おっ、相方どやねん』『ゆうた、元気してんの?』と皆さんが声をかけてくださいました。私の知る限り、こんなに皆さんに愛されてる芸人はいません。そんな時、相方からポツンときたメール、『「漫才やりたいです』。涙が止まりませんでした。それが実現した、台風の最中での3年半ぶりの漫才。舞台で私の肩を持って重心をとる相方が、愛おしくて愛おしくてたまりませんでした。漫才が終わって、取材を受けた時のゆうたくんの言葉『1日でも長くやりたいというのがあるからね』。
ほんま、長く漫才やりたかった。旧暦の七夕の日に、天に召されたゆうたくん。この日だけでかまへんから、一年にいっぺん会って♪えぇ〜漫才♪しょーな。今までありがとう。最高の相方、おかゆうたくん」