清原和博氏「KKドラフト事件」の裏側語る「寮で暴動みたいなものが起きたんですよ」

西武、巨人、オリックスで通算525本塁打を放った清原和博氏(54)が19日深夜放送のテレビ東京系「じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告〜」(木曜深夜0・0)に出演。1985年に起こった、プロ野球史に残るドラフト会議を巡る騒動「KKドラフト事件」について語った。

番組では「ウソかホントか清原伝説」と題して、清原氏の数々の伝説の真相に迫った。PL学園時代に「KKコンビ」として、現巨人投手チーフコーチの桑田真澄氏(54)とともに甲子園を湧かせた清原氏。1985年のドラフト会議でも注目の的となり、当時、清原氏はプロ入りを志願。巨人、もしくは阪神入りを熱望していた。対して桑田氏はプロの道には進まず大学進学を公表していた。しかしドラフト会議当日。巨人は清原氏ではなく桑田氏をドラフト1位に指名。清原氏は阪神、南海、日本ハム、中日、近鉄、西武の6球団から指名を受け、抽選の結果西武が交渉権を獲得した。

「KKドラフト事件」として世間を騒がせたこの騒動について清原氏は「まさかの巨人1位が桑田だったじゃないですか。それで寮で暴動みたいなものが起きたんですよ。みんなバット持ってうろついてるわけですよ。桑田はいなくなりましたけど、桑田をやるみたいな感じで」と緊張状態にあったと振り返った。「それでみんな集めて。もし万が一のことがあったら、僕がやらしたと思われたら嫌なんで、『もう頼むからやめてくれ』ってチームメイトをなだめて。『俺もう西武行くから』って」と暴動を治めるため、西武行きを決意したという。

清原氏は元々、巨人、阪神、中日以外の球団に行くつもりがなかったようで「意中の球団じゃなかったら、僕は日本生命いこうと思ってたんですよ」と、社会人野球で腕を磨くつもりだったという。しかし「僕も考えましたけど、巨人に彼が行って活躍してる姿を見ながら、僕は社会人で昼間仕事して野球する。これは耐えられへんなって」と暴動のみが決め手ではなかったことを明かし、「だから僕、甲子園の夏優勝してから、甲子園の土持って帰ってないんですよ。『俺またここでプレーするからいらんわ』言うて。(ドラフトで)外れた瞬間、甲子園で使ってたスパイクの土削り落としました」と裏話を暴露した。

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