氷川竜介が語る、『AKIRA』の制作過程「大友克洋さんがやっていることは、宮崎駿の仕事と同じ」

新潟市にて開催中の第1回新潟国際アニメーション映画祭。作家・ムーブメントの再評価をする「レトロスペクティブ」部門のトークイベント「『AKIRA』-その映像と作画の魅力」が、3月18日に新潟市中央区のシネ・ウインドで行われた。アニメ・特撮研究家の氷川竜介と本映画祭プログラム・ディレクターの数土直志が登壇し、『AKIRA』(88)における大友克洋監督の役割から、緻密でリアルの作画について語った。

記念すべき第1回のレトロスペクティブ部門でフォーカスされているのは、漫画界の巨匠であり、映画やアニメにおいても卓越した存在と認められている大友克洋監督。日本のアニメーションが世界で羽ばたく起点となった『AKIRA』をはじめ、“幻の映画”として知られる実写版『童夢』のパイロットフィルムなど13作品が上映される。

『AKIRA』公開当時について振り返り、氷川は「大友克洋がアニメーション監督としてなにをやっているかわからない状況があり、実は名義貸しなのではと思われていることもありました」としつつ、「大友さんがやっていることは、宮崎駿の仕事と同じです。原画からレイアウトまで自分で描いています。キャラクターのルックなどもコントロールして、アニメーション作家としてすべてを統括しています」と明かした。

1990年代に入ると、先鋭的なアニメの差が情報量で描き込みが緻密でリアルになっていくという話す氷川は、「(1988年公開の)『AKIRA』に集まった沖浦啓之さん、井上俊之さん、北久保弘之さんらが、大友さんのリアリズムに触れて、“リアル派”という言葉ができました。このエッセンスがプロダクションIGなどの作品に伝わっていく」と話し、後の『攻殻機動隊』といった“ジャパニメーション”と呼ばれる作品の源流であることを解説した。

こういった若手アニメーターが『AKIRA』に集結した要因は、1980年代に海外の制作スタジオとの合作ブームがあったことが要因があるという。氷川は「当時のアニメ業界には、海外転換のようなものがあり、大塚康生さんといったベテランはそっちで新人の教育をしていました。こういったベテランがいなくなる空洞化現象のようなことがあったことで、当時立ち上がったOVAもやる人がいないので、いきなり20代で監督になるようなことも起きた」と説明した。

これに対して数土は、「アニメーターの空白を埋めるために若手を起用したとして、でも、後の歴史に名を残すアニメーターばかりがなぜそこに集中してしまったのか?」と問うと、氷川は「逆に『AKIRA』に触発されて、別の現場や自分の作品で“こういうことでいいんじゃないか”っていう発想に切り替わったのだと思います」と話し、『AKIRA』を起点として“リアル派”のムーブメントが起きたことを解説した。

大友監督のレトロスペクティブでは、各作品の上映のほかに、19日(日)には脚本家の村井さだゆきと氷川竜介が登壇する「『スチームボーイ』を中心に-アニメの脚本術」、21日(火・祝)には『老人Z』の北久保弘之監督とアニメ評論家の藤津亮太が登壇するトークイベント「80年、90年代 日本アニメのクリエイティブ世界」を予定している。第1回新潟国際アニメーション映画祭は22日(水)まで開催される。

取材・文/編集部

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