日本公開から20年…名優ヴィゴ・モーテンセンがいまこそ「ロード・オブ・ザ・リング」を語る「ドラマシリーズももちろん観ますよ」

日本公開から20年…名優ヴィゴ・モーテンセンがいまこそ「ロード・オブ・ザ・リング」を語る「ドラマシリーズももちろん観ますよ」

ヴィゴ・モーテンセンが最新作から「ロード・オブ・ザ・リング」制作秘話まで語った

(MOVIE WALKER PRESS)

デイヴィッド・クローネンバーグ監督の『Crimes of the Future』は、第75回カンヌ国際映画祭で公式上映され、ヴィジュアル派監督の原点回帰のようなボディ・ホラーに賞賛が集まった。人工内臓を取り出すパフォーマンスをする男(ヴィゴ・モーテンセン)と、彼のパートナーであるレア・セドゥ、そしてクリステン・スチュワートが主演し、アメリカでも6月から劇場公開されている。

カンヌ国脚映画祭会場内に各国が出展している、インターナショナル・ヴィレッジ内にあるアメリカン・パビリオンで行われたモーテンセンのインタビューでは、最新主演映画の話から、アラゴルン役を演じ、世界に彼の名を知らしめた「ロード・オブ・ザ・リング」の秘話、9月2日(金)より世界同時配信となるAmazon Prime Videoのドラマシリーズ「ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪」に対する期待まで語ってくれた。

■「『イースタン・プロミス』は、ダンスを踊るように殺陣の振り付けをして楽しかった」

モーテンセンは、クローネンバーグ監督との出会いをこう思い返す。「デイヴィッドと初めて会ったのは、2001年のカンヌ国際映画祭だったと思います。『ロード・オブ・ザ・リング』の最初の20分のフッテージを上映した時でした。そのあとに丘の上にあるお城のような家でパーティがあって、『ロード〜』の音楽監督のハワード・ショアに紹介されました。ハワードはデイヴィッドと何年も仕事をしてきた親友です。その時は簡単な挨拶をしただけでしたね」。

その後、2004年に『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(05)で主演を務め、『イースタン・プロミス』(07)、『危険なメソッド』(11)とタッグを組み、今作で4作目になる。2人が組んだ作品の中でも、『イースタン・プロミス』の公衆浴場での乱闘は衝撃的で忘れられないシーンとなった。

「脚本には、こう書いてありました。『タオルを腰に巻いて座っていると、男たちが現れて乱闘になる』。私はデイヴィッドに『接着剤で貼り付けなければ、タオルを留めてはおけないよ』と言いました。『どうしたらいいと思う?』と逆に聞かれたので、『即座に外しちゃえばいいんじゃないかな。シーンのどこかで外れるようなことがあると、編集でつなげるのは悪夢でしょう』『そうだね、君次第だね』『ほかに選択肢がないような気がする…』。

そして、1日ですべて撮りきることができたと思ったら、2、3カットを翌日に撮ることになって、タトゥーを入れる時間がかかるのが大変だったことを覚えています。撮影のピーター・サシツキーとデイヴィッド、スタント・コーディネーターと共に、まるでダンスを踊るように殺陣の振り付けをして、とても楽しかった。デイヴィッドは『とてもよかった。とても暴力的で、とてもセクシーだ』と言ってくれました」。

■「『やらなきゃダメだよ!』息子のひとことが、私の心を変えてくれたんです」

そして、2005年の『ヒストリー・オブ・バイオレンス』は、同じスタジオ(ニュー・ライン・シネマ)によって制作された「ロード・オブ・ザ・リング」三部作が成功したからこそ成立したプロジェクトだったと明かした。

「『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』が公開された1年後に、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』が完成しました。もしも『ロード・オブ・ザ・リング』の3部作が成功を納めていなかったら、私がこの映画にキャスティングされることはなかったでしょう。だから、ピーター・ジャクソン監督が私をキャスティングしてくれたおかげです。よく、このような有名な作品に出演したことは重荷になるかと聞かれます。重荷でしょうか?まったくそんなことは感じていません。その後、アラゴルンのような役をタイプキャストされているとも思いません。3部作はとてもすばらしい経験でしたし、それ以外の挑戦もたくさんやっています。新しい役柄への挑戦も、有名な役から距離を置くためではありません。ただ、おもしろそうだと思った役が、たまたま自分の手に落ちてきたからチャンスを掴んだまでです」。

「自分が出演した映画をたまたまもう一度観たり、一部を目にしたりすると一緒に働いていた人たちのことを思い出します。『ロード・オブ・ザ・リング』も同じです。撮影で長いこと、あの美しいニュージーランドに滞在し、人々やスタッフととても親しくなりました。スタッフは何百人もいましたが、まるで小さなインディペンデント映画のように、非常に緊密な関係を築くことができました。ピーター・ジャクソンの原点はここにあります。彼はニュージーランドで、『乙女の祈り』などいくつものインディペンデント映画を作ってきました。それらと同じ精神で作られた映画だからです。すばらしい友人たちに恵まれ、さらにはたくさんの機会を得ることができたのです」。

およそ14か月にわたり、ニュージーランドで撮影された「ロード・オブ・ザ・リング」の思い出は尽きない。撮影が始まる直前にキャスティングが決まり、息子の勧めで作品に飛び込んだという。

「最初に話をもらった時に断ったのは、参加する多くの役者たちがすでにリハーサルを始めていて、高所での演技や剣の扱い方、乗馬などの訓練を受けていたから。私はそれらのどれも経験がなかったのと、ちょうどアメリカ横断旅行から帰ってきたばかりでした。電話で、『明後日からニュージーランドに行ってほしい』と言われ、『原作もまだ読んでいないし、共演者の足を引っ張って映画に損害を与えたくないので、ほかの役者をあたってほしい』と答えました。電話を切ったら、当時11歳の息子が、その本を知っていると興奮して言いました。『ストライダーとかなんとか言ってた』と言うと、『それは王様だよ。途中で王になるんだ』そして、『やらなきゃダメだよ!スカンジナビアとアイルランドの神話が元になっているんだ。父さんならできるよ!』と焦ったように言いました。息子のひとことが、私の心を変えてくれたんです。大きな挑戦になるし、やらなかったら後悔するかもしれないという想いはありましたが、この作品が成功するとはまったく思っていませんでした。私の印象では、トールキンの人気は60年代のアメリカやカナダで、ヒッピーのサブカルチャーとして広まったものでした」。

そして、冒頭で語っているように、2001年のカンヌ国際映画祭期間中に20分のフッテージを上映した際も、プロデューサーは確信を持てずにいたという。「彼は、『アジアが心配です。特に、日本での興行成績が気がかりです。原作が読まれていないので』と言いました。私が、『物語が有名でなくても、小さなエピソードにはサムライを思わせるようなものもある。そこそこは気に入ってくれるのでは?きっと、オーランド・ブルームの周りを日本人の女の子たちが囲むようになるよ』と答えたのを覚えています」。

そして、間もなく配信開始になるドラマシリーズ「ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪」に対する期待には、こう答えている。「これは前日譚?それともスピンオフ?誰も内容を知らないの?(笑)それに10億ドルかけるなんて、まさにハリウッドという感じですね。独立した物語になるのかな。ピーター・ジャクソンは、映画3部作でのアラルゴンとアルウェンの物語もそうやって描いたからね。もちろん、観ますよ!」

取材・文/平井伊都子

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