尾崎は1976年「冥想」でデビュー。当時19歳という若さで作詞作曲。翌年には「マイ・ピュア・レディ」が化粧品のCMソングに起用され、自身最大のヒットに。さらに1978年に楽曲提供した杏里「オリビアを聴きながら」もロングヒットを記録した。
松田聖子が歌った1985年発売「天使のウィンク」の話題となり、尾崎は「音域がものすごく狭い人とか色々難しいオファーってあるんですけど、この曲に関しては1日で作って欲しいと…」と告白。霜降り明星の2人からも驚きの声が上がる中「年末だったんで大掃除してたんです。そしたら電話かかってきて、聖子ちゃんの曲を書いてくれと。何か切羽詰まった事情があったらしんです」と説明。
続けて「その当時、(聖子の曲は)松本隆さんが続いていたので(当然)詩はそうだろうと。曲だけなら頑張れば作れると思ったので、分かりました。と返事をしたら、詩も亜美さんですって言われてホッヒャッーーー!!ってなって。とりあえず1番出来れば大丈夫だからと言われた」と想像以上の“無茶ぶり”に驚いたことを明かした。
それでも「もう死に物狂いですぐにやらないといけなかったんですけど、掃除の途中だったからちょっと続けちゃうんですよね。掃除しながらアイデアを考えてたら、地上に恋に悩んでいる女の子がいて(天使と)会話してるのどうかなって思った」と、突然曲のイメージを閃き完成することが出来たと報告。窓ガラスにハタキを掛けた時に舞い上がった埃が日差しと重り、キレイな光となって天使を連想させたのだという。「だから物語は一生懸命、力を込めなくても出来る時はあるんだなと。聖子ちゃんにもピッタリだったし」と話した。
もし掃除してなかったら曲は生まれてなかったのかと問われると「生まれてない。(全く)違う曲になっていたと思います」とコメントした。