1988年に結成後、よゐこ、ますだおかだらの先輩として、89年「NHK上方漫才コンテスト」優秀賞、90年「ABCお笑い新人グランプリ」審査員賞を受賞するなど、当時の松竹芸能の若手勢をけん引。巨人ファンの松井は、『進ぬ!電波少年』の「電波少年的ペナントレース」にも出演した。それでも東京には進出せずに大阪での漫才にこだわり続け、2009年には「上方漫才大賞」で奨励賞を贈られた。
コンビ35周年を迎え、松井は「がむしゃらにやってないから。ほどほど感が必要」と説き、自身の名前にかけて「“なりゆき”(成行)でこうなってるだけ」と笑わせた。渡辺は「僕がなるべく会わないようしてただけ(笑)」とツッコんだ。
その姿は芸人たちから広く愛され、35周年記念公演には豪華ゲストがそろう。当日は2公演を予定し、「寄席編」(後0:30〜)には、“コンちゃん”ことフリーアナウンサー近藤光史、落語家の笑福亭鶴瓶が登場。「ライブ編」(後3:30〜)には、よゐこ・有野晋哉、ますだおかだらが駆けつける。
デビュー当時は、松竹芸能と吉本興業がバチバチのライバル関係だったという。渡辺は、事務所にとらわれない『M-1グランプリ』などが盛んになった現在を「ガラス張りになった」と表現しながら、「僕らのときはホンマに口も聞かなかった」と懐かしげ。そうした中で交流役を担い、渡辺は「僕らは仲良くしてくださった」と、大阪の芸人仲間に感謝を込めた。
渡辺は「タレントになりたいと思って(芸能界に)入ったわけではない。漫才師としてこうしてご飯を食べさせてもらっているのは感慨深い」とも語り、今後についても「テレビで漫才をやる機会はあんまりないけれど、実演を大切にしていきたい」と意気込み。松井は「(漫才を)健康でやっていることが一番大事」と笑顔を見せていた。