父の大倉忠司氏は1985年、大阪・東大阪市に鳥貴族の1号店をオープンした。「僕が生まれた年に1号店(を開店した)だったので、同い年なんですよ」と大倉。偶然の告白に、スタジオには驚きの声が上がった。
父は超多忙で、ほとんど家にいることはなかったという。「(店を)大きくしていきたいと当初から思っていたんで、忙しくて家にいない状態でしたね。母子家庭みたいな」。父も父で、夢を追いかけ続ける人生だった。
大倉に対して父は「礼儀とかに関しては厳しかったですね」というが、一方で「夢を追いかける仕事じゃないですか?この仕事は。という意味では、一番応援してくれた」という。アイドルになることにも反対されなかったが、「“辞める”とは言うなと。やるんやったら。“お父さんも夢を追いかけているから応援するし”というスタンス」と、仕事の方向性は親子で共通した部分があったという。
父は「勉強しているに越したことはない」と、大倉には勉学にも励むよう言っていたという。「塾も通わせてもらっていて。“成績は優秀であれ”と。“お父さん、おらんから、教えられないから、塾には通わせる”という感じで」。そのかいあってか、勉強は「小学生まではできました」という。
反抗期もなかったという大倉だが、1度だけ塾をさぼった経験を明かした。父には「不良に絡まれた」「たぶんあの中学やわ」と、うその理由を説明したが、「それが大ごとになっちゃって」という。大倉の言葉を信じた父は「“その中学に行こう”ってなって」と、乗り込む気満々に。結局、大倉がうそであることを白状したという。
父の反応は厳しかった。「“家、出ろ”って言われました。“勘当で、育てられへん”って言われました」。父の本気ぶりに焦った大倉は「土下座しました」と、決着方法を明かし、スタジオはどよめきに包まれていた。