増田恵子、ラジオで芸名秘話を告白…「ピンク・レディー」はもともと「白い風船」だった

1970年代後半に一世を風びした女性デュオ、ピンク・レディーのケイこと歌手、増田恵子(65)が17日、TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月〜金曜前5・0)にゲスト出演した。

76年のデビュー当時の話になり、「私たちの芸名は当初『白い風船』に決まってたんです」と告白。「でも、ソウルフルな歌を歌いたかったのにフォークソング的な名前を付けられて、『私たち、終わったな』と思いました」と回顧した。

候補は他にも「みかん箱」や「ちゃっきり娘」などさまざまだったそう。いずれにせよ、ミー(現在は歌手、未唯mie=みい=65)ともども「デビューさせてもらえるだけでありがたい」と思い直していたところ、事務所スタッフが息せききって「名前、変わったよ!」と教えてくれた。

それが「ピンク・レディー」だった。名付け親は作曲家で現文化庁長官の都倉俊一氏(74)。増田は新しい芸名を聞いた瞬間を振り返り、「『やったーっ!』って叫んでました。これで運命の歯車が前進するみたいに思えて…。感激して泣きました」としみじみ語った。

ちなみに、都倉氏が2人のユニット名を思いついたのは、当時の赤坂プリンスホテルで事務所スタッフとお酒を飲んでいるとき。「あの2人、『白い風船』じゃないよなぁ。『ピンク・レディー』はどうかな」とつぶやいたのが始まりだった。

増田は「都倉先生が思い浮かばなければ、私たちの未来はなかったですね」と真顔に。パーソナリティーの生島ヒロシ(72)から「〝風船〟はしぼんじゃってましたかねえ」とジョークまじりにふられると、苦笑しつつもうなずいた。

増田は24日の放送にも出演。4月19日にはピンク・レディーのDVD6枚組BOXを発売する。

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