八代亜紀さん 父親譲りのハスキーボイスは「金の喉」、15歳で立ったキャバレーのステージが転機に

 「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られる歌手の八代亜紀さんが、昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため、死去した。73歳だった。所属事務所のミリオン企画が9日、公式サイトで発表した。葬儀・告別式は8日に事務所スタッフのみで執り行った。後日、お別れの会を開く。

 八代さんと言えば、父親譲りのハスキーボイスの持ち主。歌手デビュー後、コンプレックスだったという声が〝最大の武器〟に変貌した。

 「子供はみんな、かわいい声をしているのに、お父さんの声にそっくり…。自分だけがハスキーで嫌だな嫌だなと思っていた」

 自信を植え付けさせてくれたのは中学卒業後、15歳の時に立ったキャバレーのステージ。恥ずかしさを理由に、3、4か月で地元・熊本のバス会社のバスガイドをやめ、父親の反対を押し切って上京したての頃だった。

 八代さんは本紙のインタビューに、当時を振り返り「私が歌い始めると、エコーがかかってフロア中に(歌声が)流れたんです。そうしたら、全員が立ち上がってダンスを始めたの。お客さんがフロア中に集まって、その時に『私っていい声なんだ』って初めて思ったかな。嫌いだった声が武器になるなんて! 驚いたわ。ウフフフ」と回想している。

 デビュー後、人一倍にのどをケアするのは、亡き祖母の助言だった。1973年に出世作「なみだ恋」がヒット。それから2年ほどが経(た)ったある日、忘れられない出来事があった。九州で暮らす祖母が突然、自身を訪ねてきたという。

 「『亜紀、喉(のど)を大事にしなさい。亜紀の喉は金の喉だから。金ばい!』って。とても励みになりましたね」

 先祖から受け継がれた「金の喉」が、八代演歌の代名詞となった。

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