ジャニーズに入所した中学生の段階から、ジャニー喜多川元社長(享年87)に統率力や話術を評価されていた。大人気だったシブがき隊(布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英)のコンサートでトークを学ぶことを勧められ、足を運んでいる。
>>SMAPの活動が〝過去の話〟ではなかった、キムタクの発言で高まる期待<<
「当時は、複数のジャニーズJr.が会場に足を運んでおり、その中の1人が中居さん。でも、当時はまだアイドル業を続けていく気概がゼロだったので、トークになると会場に入って、終わると帰ってしまったとか」(ステージ関係者)
シブがき隊のなかで、ジャニー氏が特にトーク力を買っていたのは薬丸。TBS系朝の情報生番組「はなまるマーケット」のメインMCを96年から14年まで務め上げた腕は本物で、ジャニー氏は中学生のころに将来性を見いだした。
そもそも薬丸は、たのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)のバックダンサーに応募した地元の友達に付いていき、初めて会ったその日にジャニー氏から「YOUもレッスン受けてみない?」とスカウトされた。まだ小学生の高学年。食事代と交通費で1万円をもらい、友達と折半して5000円。その1年後に電話がかかってきて、マッチこと近藤のCMオーディションに来るよう指示され、合格。学園ドラマ「2年B組仙八先生」(TBS系)に出演、レコードデビュー、NHK大河ドラマ「峠の群像」に出演して、とんとん拍子でスターダムを駆け上がった。
薬丸は、中居と食事している。そのとき、「シブがきのコンサートを見に行ったんですよ。トークだけ(笑)」と打ち明けられている。
中居は光GENJIのバックダンサー「スケートボーイズ」を経験して、SMAPを結成。光GENJIのコンサートに出演して、MCやオリジナル曲を披露する場が与えられたが、ファンから「帰れ」コールのブーイングを浴びている。その辛酸が、トークに磨きをかけたきっかけかもしれない。
脈々と流れ継がれるジャニーズイズム。中居の源流はジャニー氏であり、薬丸だったといっても言い過ぎではない。
(伊藤由華)