<悼む>
伊集院静さんが亡くなった。生前、2回インタビューさせてもらった。いずれも、講談社の雑誌「週刊現代」に連載していたコラムが単行本化された時だ。
初めてのインタビューは10年近く前。場所は東京の定宿にしていた、東京・駿河台の山の上ホテルだった。川端康成、三島由紀夫、池波正太郎といったレジェンドが愛したホテルでの取材に感激しながらあいさつをすると、伊集院さんから「じいさんは、どうした」と聞かれた。
誰のことかと不思議そうな顔をしていると、伊集院さんより6歳年下の先輩記者の名前を挙げた。長く演劇を担当して落ち着き払った先輩は、若い頃から枯れた味わいのある人だった。伊集院さんは「俺より、老けてるだろう」と言って笑った。
記者自身との関わりで、作家伊集院静より、歌手近藤真彦(59)の「ギンギラギンにさりげなく」や「愚か者」を作詞した作詞家伊達歩の方が仕事的には多いと説明すると、タバコの煙をくゆらせ、コーヒーを口にしながら「そりゃ、普通そうだろ」と言った。
そして、1992年(平4)に結婚した夫人で女優の篠ひろ子さん(75)が、伊集院さんと一緒に故郷の仙台に移住する前は、よく取材したことを話した。
91年に篠さんが主演して、真っ赤なプジョーカブリオレを乗り回す監察医を演じた日本テレビの連ドラ「助教授一色麗子・法医学教室の女」の取材時のことを話すと、伊集院さんはニヤニヤしながら「仙台で暮らしてるよ。東京で飲んだくれてばっかりだから、あんまり話してないな」と笑った。
意外と気さくにいろいろなことを話してくれた伊集院さんだったが、聞けなかったことがある。85年(昭60)に27歳の若さで亡くなった、前妻の夏目雅子さんのことだ。夏目さんのお母さんやお兄さんも取材したことがあったが、話題に出せる雰囲気ではなかった。
それから3年ほどたって、またインタビューの機会がやって来た。17年のことだった。その時は夏目さんへの思いを隠すことなく話してくれた。
11年の東日本大震災で悲しむ人の心を和らげるために「自分が雅子さんを亡くして時にどうだったかを語っておくことは、作家として必要なことなのかもしれないと思った」と教えてくれた。夏目さんのことを書き始めるにあたっては、篠さんの了解を取ったという。
そして「大きな別れを経験した人に、あなただけが悲しいわけではないと伝えたい。そこで経験したものが力になり、その人の中で亡くなった人が生きていると伝えたい」と言った。そして今、伊集院静さん、伊達歩さんは亡くなったが、その作品は私たちの中に生きていることを感じている。ご冥福をお祈りします。
【小谷野俊哉】