1977年にブラジルから来日して45年となるラモス氏。私生活では1984年に結婚。だが妻・初音さんは2011年に転移性肝がんのため52歳の若さで他界した。司会の黒柳徹子から「残念だったんですけど、そのとき電話番号も変えちゃったんですって。人からかかってくるのが嫌で」と聞かれると、ラモス氏は「ショックが大きすぎたのかな。自分でもあの世に行くんじゃないかなと思ったぐらいに。ちょっと早すぎたし、まさかがんとかと思わなかったし。見つけた時もどうしようもなかったのかな。できれば変わってあげたかったんだけど」と振り返った。
初音さんについラモス氏は「最高の女性だった。ここまで来れたのは彼女のおかげだと思ってます」と表現。死後は自暴自棄となり、半年ほど暴飲暴食、飲み歩く日々が続いたというが、黒柳が「そんな中に今の奥様と出会った」と続けると、ラモス氏は「そうですね。ちょうど10年前ぐらいには自分の愛が空っぽになりましたから、二度と結婚もしないなと思いました。それで一年ぐらいバカなことばっかりやってましてショックで。どうやって立て直るのかなと思って。それで素敵な女性に、共通の友達の紹介で。初音っちが生きてたときに知り合いだったんですけどちょっと」と現在の妻・俊子さんと再び話すようになったとした。
ラモス氏が自暴自棄な生活をしていることは俊子さんの耳にも入っており、共通の知人と食事をしている際に俊子さんからは「初音さんは、あなたのこの姿見たくないよ。しっかりしなさいよ」と注意を受けたという。「あなたの面倒みるのは私しかいないよ」とも言われ、ラモス氏は「いやあ、男前だなと。驚いたですよ。まさか彼女の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった」。そうして付き合うようになり一年半ほど経つと、俊子さんから「あなたが真剣に考えているんだったら付き合います。じゃなかったらここで引く」と言われ、ラモス氏は「じゃあ真剣に。結婚しましょう」と決断したとした。
「サッカー選手として人間としてここまで来れたのは初音ちゃんのおかげだと思ってます」とラモス氏。「でも今は俊ちゃんがいなかったら。私の恩人は俊ちゃんかな」としみじみと話した。