プロも輩出、中高生が競い合える場実現 「ジャズの甲子園」仕掛人がまいた種と神戸ジャズの未来

プロも輩出、中高生が競い合える場実現 「ジャズの甲子園」仕掛人がまいた種と神戸ジャズの未来

懐かしい写真を見ながら、神戸のジャズシーンについて語る日下雄介さん=神戸市中央区(撮影・風斗雅博)

(神戸新聞)

 高校教師とキャバレーのバンドマスターの二刀流を実践しながら、子どもたちにジャズの魅力を伝えてきた日本学校ジャズ教育協会関西本部理事長の日下雄介さん(82)=神戸市中央区。1980年代に入ると、後に「ジャズの甲子園」と呼ばれる全国的なイベントの仕掛人となった。神戸ジャズの未来を耕し、次なる100年への種をまいたのだ。

 日下さんは85年に同協会関西本部を設立し、中高生のビッグバンドが集まる「ジャパン・ステューデント・ジャズ・フェスティバル」を大阪で始めた。

 組織名を「支部」ではなく「本部」としたのは、関西からジャズを盛り上げたかったから。参加するバンドは当初、近隣府県の8団体ほどだったが、近年では全国から約50団体に。93年から会場を神戸に移して「ジャズの甲子園」と呼ばれるまでに育った。

 「ジャズは一番二番を決める勝負事じゃない。個性を大事にする音楽やから」。そこを踏まえつつも、順位を付けるコンテストにして成功したと振り返る。「やはり競い合うことが向上につながるねん。互いの演奏を聞いて『あの曲かっこええな、自分らもやろか』と見習うから」と語る。

 世界へ羽ばたくプロも生まれた。トランペット奏者広瀬未来さん(39)=神戸市東灘区=は、甲南中・高校時代に仲間たちと計3回出場した。「初回は2位で悔しくて、次こそはと熱くなれた」といい、最優秀の神戸市長賞に2度輝いた。2003〜14年には本場のニューヨークで演奏活動。「今の自分をつくってくれたのがこのフェスティバルであり、神戸」と感謝する。

 同フェスティバルのために豪華な指導者も集う。

 04年からフェス前に学生が合宿し、プロからレッスンを受ける「神戸ジャズ道場」を始めた。

 07年には、世界的なサックス奏者渡辺貞夫さん(90)が、映画「スウィングガールズ」のモデルとなった高砂高校(高砂市)ジャズバンド部でフェスの前に出張教室を開いたことも。日下さんは「彼は教えるのが好きなんよ」と当時の写真を見て懐かしむ。

 日下さんは85年、社会人バンド「モダンタイムスビッグバンド」を結成してリーダーとしても活躍。阪神・淡路大震災があった95年の夏には神戸・北野でコンサートを開き、被災地の人々を勇気づけた。

 自身が理想とするのはサックス奏者のジャッキー・マクリーンで「馬力のあるほんまのジャズ」という。若き日に肺活量が5000ccを超えた分厚い胸板で、数年前まで伸びやかな音を奏でてきた。

 日下さんの社会人バンドに高校生時代に加わった広瀬さんは、日下さんの奏でる音色が「めちゃくちゃきれいで、色気がある」と魅せられた。

 広瀬さんは「日本と関西のジャズの水準を高めてくれた」と日下さんの功績をたたえ、朗らかで笑顔を絶やさない指導の姿勢は「まねしようと思ってもできない。人柄からにじみでるものがある」と慕う。

 神戸で1923年、井田一郎さんが率いる国内初のプロのジャズバンドが演奏してから100年。「今の神戸を見たら井田さんも喜んで、びっくりしとるやろな」と日下さん。「これからも音楽は変わっていくから、想像もできへんけどね。その中でも独特のリズム、ビートは受け継がれてほしい」。100年後も「ジャパン・ステューデント・ジャズ・フェスティバルはやっててほしいなあ」と願いを込める。

 「中学生時分に感動した音楽をそのまま趣味としてやってきたつもり」という日下さん。歩みがそのまま神戸ジャズの重要な軌跡となった。(小林伸哉)

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね♡
URLをコピーする
URLをコピーしました!

この記事を書いた人

アフィリエイター初心者です!よろしくお願いします。

目次
閉じる