ピアニスト・辻井伸行さんを育てた辻井いつ子さん 62<中>
圧倒的なテクニックと豊かな音色で聴衆を魅了するピアニストの辻井伸行さん(33)。息子が迎える3度目のクリスマスを楽しみにしていた1990年12月、埼玉県のマンションで、母・いつ子さん(62)は、夕食のビーフシチューを火にかけながら、『ジングルベル』を口ずさんでいた。
「すると、どこからかピアノの伴奏が聞こえてきたんです。音は、ふすまを隔てた隣の部屋からでした」
あわてて部屋に飛び込んだいつ子さんが目にしたのは、10本の指を使っておもちゃのピアノを弾く伸行さんの姿だった。
「それまではやみくもに
その日を境に伸行さんは、いつ子さんが口にする歌や聴いた曲を片っ端からピアノで再現するようになった。『汽車ポッポ』『めだかの学校』『おもちゃのチャチャチャ』といった童謡のレパートリーが増えていった。
一方で、伸行さんの昼夜逆転行動は断続的に続き、自分が決めた生活パターンが少しでもずれると泣きわめくなど、相変わらず神経をすり減らす毎日。
「なのにピアノと向き合っている時は、まるで“天使”。ひとときの穏やかな時間を過ごしながら、できないことを嘆くのではなく、好きなことを伸ばそうと心に誓いました」
3歳半になると、保育園に通うようになり、行動の幅も広がった。キャンプや花火大会、そり遊び、乗馬など様々なチャレンジを始めたのもこの頃から。
「見えなくとも心の目で感じることはできるはず。視覚障害者らしくではなく、伸行らしく。大自然に身をゆだね、耳を澄ました経験は、豊かな感性を育んでくれました」
家族でのサイパン旅行も、貴重な機会をもたらしてくれた。5歳になったばかりの伸行さんが、ショッピングモールに置かれていたピアノを弾きたがり、特別に演奏させてもらったのだ。曲は、リチャード・クレイダーマンの『渚のアデリーヌ』。
「買い物客が次々と足を止め、『ブラボー』『アンコール』と大きな歓声と拍手に包まれたのです。伸行は得意満面の笑み。観衆の前で演奏する
本格的なレッスンを受けるようになったのは小学校に入学してから。東京音大で
点字楽譜の制作が追いつかず、伸行さんのため、先生は右手と左手のパートを別々に演奏し、〈フォルテ〉など記号の解説とともにカセットテープに吹き込んでくれた。特製の「声の楽譜」は、12年間に200本を超えた。
週2、3回のレッスンにはいつ子さんも付き添い、注意点を聞き漏らさないよう耳をそばだてた。指導内容は録音し、夜、家族が寝静まってから新しく習う曲のリズムなどを勉強した。
「私は、小学1年から2年ほどピアノを習った程度。演奏を聴くたびに『すっごく上手』『感動したわ』と本気で褒めちぎっていたのが、伸行のやる気につながっていったようです」
筑波大付属盲学校小学部1年で参加した「全日本盲学生音楽コンクール」では、中学生や高校生を差しおいて見事に最年少優勝。その優美な音色と表現力が審査員をうならせた。
「伸行には人の話し声も音階に聞こえるらしく、『あの人はド、ミ、ミ、ミの人だね』とかよく言ってました。幼い頃に生活音に異常に反応したのも、感度の良すぎる耳のせいだったんだと後になって気づきました」
97年4月、いつ子さんの目にとまったのは読売新聞の記事。障害を持ちながら音楽家を志す人たちのコンサート参加者を募集する内容だった。場所は、クラシック音楽の殿堂「モスクワ音楽院大ホール」。
「これだ」と
わずか8歳で海外デビューを実現できたのは、我が子の才能を開花させたいと願う母の強い思いと行動力だった。
チャンスは逃さない。「思い立ったらすぐ行動」が、次なるステージの扉も開いていく。