人気がありすぎて予約が取れないと話題になり、「伝説の家政婦」と呼ばれるようになったタサンさん。出版したレシピ本も約200万冊を売り上げるなど好評を博している。
タサンさんは現在の仕事の内容について「一回のお仕事は3時間と決まっていて。3時間で一週間分のお料理を作って帰ります」と明かした。持って行くものは「エプロンだけ」とし、「お客様にお買い物はしていただいて、材料とか調味料はあるもので作って帰るという感じです」と説明した。
3時間で「10品から多い日は15品ぐらいは」作っており、「私は元々フレンチ(の料理人)だったんですけど、やっぱり日本人の食生活は和洋中いろんなものを食べるので、飽きないように和食も中華も、ときにはエスニックもいろんなお料理を作って帰ります」。調味料も揃っている場合もあれば、「お塩とおしょうゆしかない方もいらっしゃいます」と笑ってみせた。
山口県出身で、大阪の調理師専門学校でフランス料理に出合った。「美味しくて、新しくてとっても感動して。それからフランス料理に引き付けられて」とその後フランスに1年間留学。ミシュランの三ツ星レストランなどで研修を行い、帰国後は、東京の高級レストランで修行、その後は庶民的な価格帯のビストロで10年間働いた。
フランスの生活で衝撃を受けたことには「食事中に凄く笑顔が絶えないんですね。そういう姿が凄く好きで」と話したタサンさん。だが日本での仕事は「どこか緊張感があるというか。ナイフ、フォークも使い慣れてない方とか、うちの田舎の両親だったり、小さい子供たちが気軽に食べに来られるお料理ではなかった」とし、「凄く頑張ってフランス料理を勉強してたんですけど、何か自分が目標を失ってしまって、レストランの仕事を辞めたんです」と振り返った。
その際に出会ったのが15歳年下の夫・ロマンさん。「で、結婚することになって。働かなきゃならない。でもフランス料理がもっともっと勉強したかったんです。何をしたら自分が食べて行けるのかって考えたときに、フランス人のベビーシッターをしようと思ったんですね」とし、「そうすればフランス人の家庭にも入れて、文化も教えてもらったりできるしと思って。探したのが家事代行のお仕事だったんです」と振り返った。
当時は掃除と料理を並行してやっていたが、料理が評判になるにつれて、「だんだん掃除の方が減って来て。お料理だけでお客様が頼んで下さるようになったんです」と明かした。最初は「レストランで働いていたので、あれがない、これがないみたいなことばっかりで、凄く戸惑いがありましたし、中華だったり和食だったり、フランス料理意外のものを作るっていうことに抵抗があったんですけど」としたものの、「だんだん作っていくうちに、自分がやりたかったことは人にゆっくり食事を楽しんでほしい、フランス料理にこだわる必要はないなっていうふうに途中から思えるようになりました。1年ぐらいはかかりましたね」としみじみと語った。