コント赤信号・小宮 42歳で死去した妻を思い涙「ごめんなさい、今もきちゃいますけど」

 お笑いトリオ「コント赤信号」の小宮孝泰(67)が、13日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月〜金曜後1・00)にゲスト出演し、若くして亡くなった妻の思い出を語った。

 トリオそろい踏みでゲスト出演した小宮は、英国へ演劇留学に行った際の写真を紹介。その中には、エディンバラの街中を小宮と妻・佳江さんが和服姿で歩くショットもあった。小宮が「これは亡き妻なんですけど…」と話すと、司会の黒柳徹子は「奥様、お亡くなりになったの?」と驚いた様子で聞き返した。

 小宮は「11年前に亡くなっているんですけどね。42歳で亡くなりまして」と説明。「30歳の時にダイニングに呼ばれて、“実は私は乳がんで、そういうことがはっきりしたから、この本を読んで”って言われて、がんに関する本をいっぱい読みまして」。そこから、夫婦二人三脚でがんと向き合う日々が始まったという。

 周囲には、妻の病気のことは話さなかった。そこには、妻の強い思いがあったという。「彼女から“がんをみんなに知らせるかどうかも私の権利だから、あなたが勝手にしないで”って言われて」。その言葉を忠実に守り、相方たちにも知らせなかったという。ラサール石井は「(亡くなる)1年前にライブをやって、いらした時にすごくやせてたから。“何だろうな。病気かな…”って」。その約1年後、小宮から電話が掛かってきたという。「ここで聞こうと思ったら、“今亡くなった”っていう電話だったんです。それまで一切言わなかったんです」と打ち明けた。渡辺正行は「いい奧さん、いい子なんですよ」と、佳江さんの人柄をしのんだ。

 生前の佳江さんは猫の撮影が得意で、数千本のネガがあったという。小宮はすべての写真、妻が遺したがんの記録をデジタル化し、書籍化。妻が短い人生を懸命に生きたあかしとして、「猫女房―妻が愛したネコと…ボク」を出版した。「妻が書き残してくれたこと。“一緒に年を取ることはできなかったけど、私はこれで幸せでした”。後で読んでもどうしても…ごめんなさい、今もきちゃいますけど」と、涙をこらえながら話していた。

 自宅で死ぬことを希望した妻のため、小宮も在宅医療を経験。妻を失って11年たった今も、在宅医療の講演会などで経験談を語っている。「がんとともに生きる夫婦とか、僕の立場から言うと、夫婦愛で奥様に愛情をさらけ出すのが苦手な方、不器用な旦那様に、ぜひともこんな生き方をして下さいというようなことを講演しています」と話していた。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね♡
URLをコピーする
URLをコピーしました!

この記事を書いた人

アフィリエイター初心者です!よろしくお願いします。

目次
閉じる