戦国時代の越前国で豪傑とされた武将・真柄十郎左衛門が2人いたことを示す新たな史料など約40点を紹介した企画展「戦国越前の謎を解く〜真柄十郎左衛門の正体など〜」が、福井市大宮の福井県立歴史博物館で開かれている。同館は「歴史上の新事実がわかる過程を味わってほしい」としている。10日まで。
同館によると、十郎左衛門は「直隆」という名で、越前国の戦国大名・朝倉義景に仕えた。身長約2メートルで、長さが約3メートルもある大太刀を振り回す怪力の持ち主だったとされる。戦国武将が天下統一を目指すゲーム「信長の野望」や、刀剣を擬人化したオンラインゲーム「刀剣乱舞」にも登場。歴史ファンらの人気は高い。
企画展は、同館が真柄家に関する新史料を発見したのがきっかけ。真柄家の子孫が記したとされる長さ約10メートルの覚書から、▽直隆だけでなく父親の「家正」も十郎左衛門を名乗っていた▽大太刀は真柄家で伝承されていた――ことなどが判明したという。
展示品の中には、朝倉氏が近江国(現・滋賀県)の戦国大名・浅井長政とともに織田信長、徳川家康の連合軍と激突した「姉川の戦い」を描いた
史料を調査した同館の大河内勇介学芸員は「後世に家正と直隆の業績が一体化し、1人の十郎左衛門として伝承されたのでは」と分析。「未知の部分が多かった真柄家の歴史に光を当てられた」と意義を語る。
入館料は大人100円、高校生以下や70歳以上は無料。
左内 4歳から名乗っていた
企画展では、幕末の福井藩士・橋本左内が4歳から「左内」と名乗っていたことを示す新史料も公開されている。
従来は18歳の時に知人へ書いた手紙が「左内」の初出とされていた。今回の史料では、4歳だった1837年、伯父の葬儀の参列者名簿に「橋本左内」と記されていたという。
当時は元服時に名前を変えるのが一般的で、大河内学芸員は「神童だったため周囲に幼名が浸透し、元服後もそのまま使ったのかもしれない」と話している。