エジプト考古学者・吉村作治さんは5年間の車椅子生活を経て…80歳の現在も情熱を失わず

【死ぬまでにやりたいこれだけのこと】

 吉村作治さん(エジプト考古学者/80歳)

 エジプト考古学といえば、この人、吉村作治さん。調査隊を率いてマルカタ南遺跡の彩色階段やツタンカーメン王の銘が刻まれた指輪などを発掘し、テレビなどのメディアで古代エジプトの魅力を発信してきた。80歳の今もエジプトへの情熱は熱い。

  ◇  ◇  ◇

 もちろん死ぬまでエジプトをやろうと思っています。今、ギザのピラミッドは墓じゃないという仮説を立て、立証しようとしているところなんです。

 こんな説を唱える私を世界中の人は「バカだ」と言います。そう言われると「よし、証明してやろうじゃないか」と考えるような天邪鬼な性格なんです。5年前から東北大や九州大の先生らとGPR(電磁波探査レーダー)を使って探してます。

 私の仮説が正しいことが証明されれば世界中が驚くスクープです。掘ってみなければわかりませんが、想像するだけでワクワクします。

 エジプトには今も行っていますよ。1966年に初めて行って以来コロナの2年間をのぞいて毎年。今年もすでに2回。実は10年前、ギザのピラミッドの南側で見つけた「第2の太陽の船」の発掘調査中、4メートルの高さから転落して左膝を複雑骨折してしまい、5年間車イス生活をしていました。

 でも、「死ぬ時に車イスだとあの世でも車イスになる」と聞き、3年前からパーソナルトレーニングジム「RIZAP(ライザップ)」で本格的にリハビリをしています。今は一時的に右足が血行不良で動かなくなり、外は歩行器、室内では杖を使って歩いていますが、いずれ完全復活してCMに出てみせますよ(笑)。

 こんな状態でもエジプト調査への思いはまったく冷めません。小学校4年生の時に抱いた情熱を持ち続けているのですから、もはや執念です。

 福島県いわき市にある東日本国際大学で、週3日、4コマを受け持ってもいます。ゼミで10人の学生に対面でエジプト考古学の面白さを伝えているのです。「東日本国際大学から世界一のエジプト考古学者を出す」。これも夢ですね。

 東日本国際大学と縁ができたのは2011年の東日本大震災の時。震災直後に福島に入り、講演をして回って被災者を励ましていたら同大学の理事長から声がかかりました。最初は無給の客員教授、それから教授兼副学長、学長と出世して2年前から総長です。「若者と接していると元気をもらえるでしょうね」とよく言われますが、僕は元気。若者に元気をあげているんですよ(笑)。

 東京にある東日本国際大学早稲田キャンパスでもゼミとは別に毎週、若者たちに講義をしています。この8月にエジプト考古学を受け継ぐ若者向けプロジェクトを始めます。

 70代、80代になっても現役でいるにはという質問を受けます。要はやる気の問題。それから上の人にちゃんとお願いすること。「60歳定年」と言われたら、「続けさせてください」とお願いすらしていない人が多いのではないですか。規則は従えばいいというものではありません。規則は人間が作ったものだから人間が変えればいいんです。

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テレビ出演は調査・発掘のお金のため

 若い頃から100歳まで生きてエジプト考古学の発掘を続けようと思っていました。そのために一番大変なのはお金。それでお金のためには何でもやろうとテレビにもたくさん出演しました。早稲田大学で授業を8コマもちながらテレビに週8本、月40本、年間500本ほど出演した時期もありました。テレビに出れば講演のオファーもたくさん来ます。講演1本90分で一時期は100万円もいただけて、なんだかんだで数億円は稼いでいました。

 でも、そのお金を私腹を肥やすことには使っていません。稼いだお金は全部エジプトの遺跡発掘・調査に使うのがポリシー。23歳の時に結婚したエジプト人の妻がいました。彼女に「私と考古学とどっちが大事なの!?」と詰め寄られ、「考古学」と答えたら見限られてしまいました。でも、2人いる子供たちは僕の研究を助けてくれています。

■子供は第2の太陽の船を修復

 50代で、子供が3人いる長男は以前はテレビのCM制作会社を経営し、今はエジプトで僕のマネジメントをしてエジプト政府と交渉してくれています。48歳の娘はエジプトで女優をしていたのですが、今は「第2の太陽の船」の修復をしてくれています。修士号もとって頑張っています。

 親として子供たちに伝えたいのは清く正しく生きること。他人に迷惑をかけちゃいけないよ、ということですね。

演歌のCDを出したい

 100歳まで元気でやりたいことをやるには体も大事。それには食べ物です。料理も好きですから20歳の頃に調理師と栄養士の免許を取り、自分の体のために生かしてきました。普段はスーパーで買い物をして自炊です。世界中の料理が作れます。エジプト、レバノン、ブラジル……。お酒はさんざん飲んだので70歳でやめました。

 おかげで足はこんな状態ですが、他はどこも悪くない。先日受けた人間ドックで血液は何の問題もなく、胃は「40代」と言われました。

 楽しいことしかやらないのもよいのでしょう。エジプト考古学に加え、土日は絵や小説をかいています。朝4時起きでね。詩も書きます。友人がそれにメロディーを付けてくれてもう30曲ほどできています。校歌として歌われているものもありますし、あとは演歌。死ぬまでにやりたいといえばこれらの歌でCDを出したい。美声ではないですが、一生懸命歌えば歌に込めた思いは伝わると思っています。

 結局、みんなに喜んでもらいたいんですね。テレビや講演でエジプト遺跡の調査・発掘の夢を語っていたのもお金のためでもありますが、みんなに喜ばれたかったという動機もありました。喜んでもらうには他の人と同じ考えを持たないこと。同じことを考え、発言していても誰も聞いてくれませんから。 (聞き手=中野裕子)

▽吉村作治(よしむら・さくじ)1943年2月、東京都出身。工学博士(早稲田大学)。2021年から東日本国際大学総長を務める。最新刊「米子の教訓 エジプト考古学者を育てた母の言葉」 東京・新宿で両親、妹の4人家族で育った吉村さん。両親は友禅染の職人で、和服製作と直販を行っていた。優しい父に比べ、怖くてとっつきにくく、たまにおちゃめな母・米子(よねこ)だったが、夢を追う息子の意思を尊重し尻を叩き続けた。そんな母の金言・名言・毒舌の数々を披露。(アケト出版刊、2月20日発売、2000円)

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