『葬送のフリーレン』という漫画をご存じでしょうか。今年の秋からアニメ化もスタートしたことで大きな注目を集めている作品です。今回のメルマガ『Weekly R-style Magazine 〜読む・書く・考えるの探求〜』では、この作品がほかの王道路線とは異なっている少年漫画であることに着目しながら紹介しています。
『葬送のフリーレン』は少年漫画だと思うことについて
漫画『葬送のフリーレン』は、2020年から週刊少年サンデーで連載されている漫画作品である。2023年の秋からはアニメ化もスタートして、注目を集めている。
今回はこの『葬送のフリーレン』について触れてみたい。
■冒険譚の後のお話
『葬送のフリーレン』の世界観は、いわゆるファンタジーものである。魔王がいて、勇者がいて、エルフやドワーフなどの亜人種がいて、魔法がある。日本ではRPGでもよく使われているおなじみのファンタジー観だ。
ただしこの作品は、そうしたファンタジーの王道路線とは違っている。つまり、世界を恐怖に陥れている魔王を、勇者たち御一行が苦難の旅を乗り越えたすえに打ち倒す、という冒険譚ではない。
むしろこの作品はそうした冒険譚のアフターストーリーとしてはじまる。つまり、勇者が魔王を倒した後のお話だ。
そのようなポスト冒険譚の枠組みも、決して珍しいわけではない。同じく2023年にアニメ化された『Lv1魔王とワンルーム勇者』は世界を救った勇者が、平和になった世界で自分の居場所をうまく見つけられない葛藤を描いている。
メタファーで言えば、勇者とは打倒魔王の兵器であり、平和な世界に兵器は邪魔になるのだ。その兵器が強力であればあるほど、その反動として平和な世界では忌み嫌われる。そういうモチーフは近年の作品ではよく見かけるものである。
『葬送のフリーレン』は、ポスト冒険の物語ではあるが、そのような使命を果たした後の勇者の葛藤を描いているわけではない。そもそも主人公は勇者ですらない。勇者と冒険を供にしたエルフ。そのエルフこそが作品タイトルにも名前があるフリーレンである。
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■長寿の視点
日本式のファンタジーの場合、エルフという種族はたいてい長命種として扱われる。人間ならせいぜい80年くらいの寿命だが、エルフの場合は100年どころか、1000年以上も生きるとされる。フリーレンというエルフもまた同様だ。
彼女も人間よりはるかに長生きなのである。人間にとって10年にも及ぶ冒険の旅は決して忘れえない人生のイベントになるだろうが、彼女にしてみれば人生の100分の1ほどの出来事でしかない。
この作品の最初のポイントはここにある。人間の時間感覚と、エルフの時間間隔の違い。それを対比させることによって、むしろ私たち人間の人生観を揺さぶってくる。
そうした構図はSF作品によく見られるものだ。まったく異なる文明を持つ異星人と人間を出会わせることで、自分たちの文明そのものを「異化」する視点を手に入れる。虚構ならではの仕組みだろう。
1000年どころか100年生きることすら怪しい人間は、その短い生をまっとうしようとする。人間にとってそうした営みは当たり前すぎて見えてこない。エルフという視点を通すことではじめてそこにある「当たり前」が浮かび上がるのである。
■使命とサイクル
それだけではない。
人は自分たちの寿命が短いからこそ、後世に何かを残そうとする。子孫に思いを伝え、銅像を建て、書物に記す。思いを残そうという思いと、思いを引き継ごうという思いの二つが、人間という営みを続けさせていく。
そうした情報のやりとりは、技術の発展も支える。生と死のサイクルが短いほど、変異の幅も広がっていくのと同じように、技術の発展は個人に閉じることではなく、むしろその技術が情報として世界中に伝播しながら広がっていくことによって起きている。
魔法に長けたエルフよりも、人間社会の魔法の方が優れているという描写によって本作品はそうしたメッセージを伝えているのは興味深い。また、フリーレンは趣味としてさまざな魔法を収集しているのだが、そうした描写もまた人間社会において突然変異的に奇妙な魔法が生まれていることを示しているだろう。
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■超越的な視点
このように、人間から見て長命のエルフを主人公におき、そのエルフから眺める人間社会という形で、この作品は私たち人間の営みを異化している。
その視点は、雑に言えば「神の視点」に似ているだろう。勇者が生き、冒険し、そしてめでたしめでたしで終わるはずの物語は、しかしその世界を眺め続ける神の視点によって、その続きが促される。人々は平和を享受し、勇者も徐々に老い、やがては人々の記憶の中から薄れ去っていく。
本作の二つ目のポイントは、そこにある物悲しさである。エルフは、仲よくなった人間の死を看取る。それも一人は二人でなく、出合った人間の大半の死と遭遇することになる。
本作が少年漫画でありながら、独特な存在感を持っているのは、この作品が基本的に「死と別れ」をテーマにしていることだ。死んでいく人間たち、薄れていく記憶。人間個人の視点では決して捉えることができないその情景を、長命のエルフはいやおうなしに見てしまう。それは決して特別な出来事なのではない。エルフにとって、人間との別れはほとんど必然的に定められた出来事なのだ。
だから本作において、老いや死はことさら騒ぎ立てられたりはしない。フリーレンは、そういうものだと割り切っている。まさに神の視点だ。
でも、やっぱり彼女は神ではない。一人のエルフであり、たとえ彼女の寿命から見てたいした量の時間でないにしても、人間たちと同じ時間を過ごした存在なのである。
■未知の自分への旅
本作の三つ目のポイントは、悟り切っているはずのフリーレンが、しかし少しずつ変化していくことだ。あるいは、彼女自身が変化を欲して行動している点だ。
彼女はよく言う。「ヒンメルならそう言うだろうね」。ヒンメルとは、彼女が共に冒険をした勇者の名前だ。彼女は、頻繁に「おそらくヒンメルがいたらこう判断したであろう」という判断を下す。もちろん、そのヒンメルは彼女の脳内に構築されたバーチャルな存在でしかない。しかし、まさにそこがポイントなのだ。
彼女の脳は、冒険する前と後では明確に変化している。ヒンメルの精神(心の持ちよう)が、フリーレン自身の作為とは別に入り込んでいるのである。
よって本作では、エルフの視点が異化の起点として用いられてはいるが、しかしその視点もまた人間存在によって変質していく。それぞれがまったく異質なものであり、独立的に干渉しないもの(≒神の視点)として設定されているわけではない。人間との交わりによって、フリーレン自身にもどういう変化が訪れるのかわからないような「冒険」が待っているのである。
だから本作は、一周回ってやっぱり少年漫画なのだろう。そこには未知への冒険がたしかにある。ただし、たいへん大人好きのする少年漫画であることは間違いない。
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