■支援の呼びかけは、アカデミー賞のキャンペーン規定に抵触する?
ライズボロー大躍進の立役者は、『To Leslie』を監督したマイケル・モリスと、妻で女優のマリー・マッコーミック、そしてライズボローのマネージャーだった。キャンペーンにかける潤沢な予算がないインディペンデント映画を盛り上げるために、彼らはハリウッドの友人・知人に電話をかけ続け、賛同した仲間たちが手弁当で試写やイベントを行い、SNS投稿を広めた。グウィネス・パルトロウ、ジェーン・フォンダ、スーザン・サランドン、エドワード・ノートン、ズーイー・デシャネル、ミラ・ソルヴィーノ、ミニー・ドライバー、ロザンナ・アークエット、デブラ・ウィンガー、パトリシア・クラークソン…これらのAリストスターたちは、アカデミー賞の投票資格を持つ俳優支部の仲間に支援を呼びかけた。フランシス・フィッシャーは、インスタグラムでこう投稿している。「俳優支部の1302人中218人がアンドレア・ライズボローを1位に指名投票すれば主演女優賞にノミネートされるのです!」
フィッシャーはこの文言のあと、下馬評で名前の挙がっているケイト・ブランシェット、ミシェル・ヨー、ヴィオラ・デイヴィス、ダニエル・デッドワイラーのファーストネームを出し、彼らはほぼ当確なのでライズボローに投票してほしいと締めている。これ以外にも、『To Leslie』のオフィシャルアカウントによる投稿が他の候補者に言及し、アカデミー賞のキャンペーン規定に抵触する可能性が指摘されていた。
アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミー(AMPAS)はノミネーション発表の3日後、特定の作品や人名を挙げずに「キャンペーン過程を審議する」と発表し、翌週に「作品のノミネーション取り消しには値しないと判断した。懸念されるキャンペーンについては、該当者に直接対処を求めている」と声明を出している。
■黒人女優たちがノミネートから外されたのは、白人女優たちの“お友達ネットワーク”のせい?
今件がここまで大きな問題になったのは、様々な理由がある。主演女優賞候補5人にライズボローが入ったことで、有力視されていた黒人女優と黒人監督による2作品、ジーナ・プリンス=バイスウッド監督の『The Woman King』とシノニエ・チュクウ監督の『Till』が完全にオスカーから無視される結果となったこと。『To Leslie』とライズボローを推薦したのは白人女優たちのお友達ネットワークで、彼らの自宅などでプライベート試写やパーティを行い、支援者を増やしていったこと。スタジオや他の候補者は、ロサンゼルスのサンセット大通りやビバリーヒルズにたくさんのビルボード広告を出し、業界専門誌にFYC(For Your Consideration=ご検討をお願いします)広告を出すなど予算をかけてキャンペーンを行なっていたのに、スターのコネクションで覆されてしまったこと。FYC広告が大きな財源であるエンターテインメント業界誌が危惧し、問題を大きくしている側面も否めない。
AMPASの発表通り、『To Leslie』のキャンペーンは現状のオスカー規定に反していない。アグレッシブなフランシス・フィッシャーの投稿も、彼女はこの映画の直接的関係者でないため、問われることはない。友人知人に映画を観てもらおうと口コミを広めるのも、毎年行われていることだ。賞レースを闘うアワード・パブリシストは規定を何度も読み込み、問題になるような行動は慎むよう忠言しているはずだ。黒人女優の候補入りも世間の勝手な予想であって、すべての権限は投票者たちにある。そして、アカデミー賞主演女優賞候補のケイト・ブランシェットが1月15日に行われた映画放送批評家協会賞のスピーチでライズボローの名前を挙げたとして支援者グループに属しているように報道されているが、これはミスリード。スピーチ全容を聞くと、共にノミネートされた女優たちに加えて、ペネロペ・クルス、タン・ウェイ、そしてライズボローの演技を賞賛している。さらには賞レースを批判し、「こんな競馬の生中継みたいなことはもう終わりにしましょう」とまで言っている。映画放送批評家賞のテレビ放送は90万人ほどしか観ていなかったのと、主催団体がスピーチなどの公式映像を供給していないため、意図的に切り取られた情報が流布している。
この騒ぎは、アカデミー賞のシステムの矛盾を突いたキャンペーン・マネージャーの戦術の勝利と言えるだろう。アカデミー賞は、92か国約9579名(2023年1月現在)のAMPAS会員がそれぞれの支部に分かれて投票し、選好投票と優先順位付投票制によって決められる。多数決ではない優先順位付投票制では、全投票数を候補枠+1で割ったマジックナンバーを超えると当確となり、多くの票を集める強い候補がいる場合は、1位指名が比較的少数でも枠内に入ることができる。フィッシャーが言及した「218」は、AMPAS最大の俳優支部1302名が全員投票した場合のマジックナンバーである。選好投票は票を平均化し、少数でも強い意見を拾う方式。多数決投票で多くの票を集めるには広くキャンペーンを行い周知する必要があるが、選好投票であれば局地的でも1位指名が多いことが決め手となる。この特性を突いたのが『To Leslie』のキャンペーン戦術だった。似たような事例は毎年起きていて、特に俳優部門のサプライズに顕著だという。
■アカデミー賞が“ハリウッド村”に左右されてしまうのは、映画の祭典の危機
だが、アカデミー賞が本当に問題視しているのは、ノミネーションやキャンペーンの正当性だろうか? 2015年の第87回アカデミー賞で、俳優部門の候補者全員が白人だったことから「#Oscar So White」の運動が始まり、アカデミー賞は批判にさらされた。ゴールデン・グローブ賞も、主催するハリウッド外国人記者協会の排他的な体質とスタジオによる接遇問題が表面化したことで、テレビ放送を中止する騒ぎになった。どちらの組織も、世間の疑念を払拭するために投票人数を増やし多様性を高め、規定を厳格化している。アワードショー番組のテレビ放送視聴率が年々下がり続けるなか、俳優賞のようなオスカーの最も華やかな部門が、小さなハリウッド村のインナーサークルによって方向性が決められてしまう賞だと印象づいてしまったら、視聴者は誰も興味を示さなくなってしまう。それでなくても毎年問題やトラブルが発生し、そのたびに人々の賞レースへの興味は薄れてしまっている。それこそが映画の祭典の危機だ。
AMPASは、来年度以降のキャンペーン規則をデジタル時代に即したものに変更するとしている。ちなみに、作品賞は全AMPAS会員、長編アニメーション部門は2018年の第90回よりアニメーション支部以外の投票も認めている。ルール変更の理由は発表されていない。この改変によって、小さくても強い支持を受ける作品のノミネートが減り、多くの人がアクセスしやすいスタジオ作品が選ばれやすくなったとの指摘もあるが、もしもスターたちの影響力を危惧するのならば、俳優部門の投票にも支部以外からの票を認めることが、この問題を解決する最善の方法のような気がする。
文/平井伊都子