さいとう・たかをさんお別れの会 里中満智子弔辞「やるべきことから逃げない強さを教えられました」

さいとう・たかをさんお別れの会 里中満智子弔辞「やるべきことから逃げない強さを教えられました」

さいとう・たかをさんお別れの会で写真に納まる(左から)秋本治さん、ちばてつやさん、里中満智子さん(撮影・木村 揚輔)

(スポニチアネックス)

 「ゴルゴ13」などの数々の名作を残し、昨年9月24日にすい臓がんのため84歳で亡くなった漫画家さいとう・たかをさんの「お別れの会」が29日、東京都内のホテルで行われた。漫画家のちばてつやさん、里中真智子さん、秋本治さんが弔辞を述べた。

 【里中真智子さん弔辞】

 さいとう先生、先生の劇画家人生は約66年。長きに渡り、常にプロとして世の期待に応え続けてこられた道のりはどんなに厳しかったか想像にかたくありません。先生の業績を一言に表すと、劇画文明の改革、プロダクションシステムの確立と言われるでしょう。でもそれらは簡単に作られるものではありません。

 漫画家の多くはアシスタントの力を借りて作品を仕上げています。物理的に負担の大きい仕事なので一人で書いていては間に合わない。さいとう先生が築きあげたプロダクションシステムは映画作りと同じように完全な分業制なのです。ストーリー、シナリオ、構図、作画、それぞれのプロが自身の持ち場を仕上げ、最終的に一つの作品を仕上げる。それがさいとうプロ作品です。

 これは並の漫画家にはできることではありません。なぜなら、漫画家は自分のイメージを自分で表現したいと願ってしまうのです。物理的にそれはかなわないので、アシスタントの力を借りるのです。私は先生に伺ったことがあります。自分で隅から隅まで書きたくなるときはあるのではないですか?先生は「世の中には自分よりも絵が上手い人はいっぱいいる。それぞれが得意な分野を集めて、一つの作品を作る。自分は自分より上手な人の才能を活かしたい」このような答えでした。

 自分を抑えてこそ、みんなの力を生かすことができるそういう意味だと受け止めました。信念がおありだったからこそ、そしてその信念を貫くという覚悟があったからこそ成立したプロダクションシステムであり、さいとうプロ作品なのです。誰もが真似できるシステムではありません。

 人の力を信じると言っても、ご自身の努力は凄まじいものでした。80歳になられた頃でしょうか?手の調子が悪いとおっしゃって見せていただくと、手のひらに太い針金が埋め込んだように、一本ぴーんと棒が入っているように見えました。神経が固まってとっても痛いらしいのです。

 でもその手で弟子さんへの手をお入れなのです。発表された作品にはそんなこと、痛みは微塵も感じさせませんでした。プロダクションシステムで分業だから自分ではほとんど書いていないのではという話はまことしやかに飛び回りましたが、そんなことはありません。

 自分がやるべきことから逃げない強さを教えられました。このことを話すと、とてもかたい先生かと誤解を招きそうです。先生は柔らかい話が大好きでありました。昔は女性はどうしてこうなんだ、男には分からん、と言うことが多かったと思います。ある時期から、本格的におのろけが入りました。てる子婦人とお付き合いが始まった頃から、少しずつお惚気を聞くようになりました。

 男の人同士だと照れてしまって言いにくいことでも、女の私もは言いやすかったのかも知れません。なんでも誰でもとにかく聞いてほしかった、と言う気持ちがあったのではないかと思います。お惚気を聞くのは気分がいいものです。その人が幸せな気分でいる、そのお裾分けをしてもらっているみたいでこちらまで温かい気持ちになります。

 てる子様と一緒になられて3年くらいたったころでしょうか。こうおっしゃいました。「自分はもともと一人で居るのが一番落ち着く、だから結婚には向いていない。しかし、今の妻と出会って、もし仮にこの人が男であっても一緒に暮らしたいと思った。人生の奇跡だ」とおっしゃったのです。ああ、よかった、先生は本当にお幸せなんだと感動しました。

 人と人とは出会いなんだと思います。漫画界、さいとう先生はじめ、多くの心の広い先輩たちによって私たち後輩は助けられてきました。ありがとうございます。先生、そちらでは、どうかさいとうプロの皆様、てる子婦人、読者である私たちを見守ってください。よろしくお願いします。これからも頼りにしています。そして、先生が残されたプロダクションシステムの結実とも言える、作品の続きをこれからもずっと楽しみにしています。ありがとうございます。

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