【追悼】日テレ“スポーツ実況の顔”河村亮アナ 数々の名調子を生んだ「実直素顔」

【追悼】日テレ“スポーツ実況の顔”河村亮アナ 数々の名調子を生んだ「実直素顔」

日テレ“スポーツ実況の顔”だった河村亮アナウンサー(C)日刊ゲンダイ

(日刊ゲンダイDIGITAL)

 日本テレビの“スポーツ実況の顔”河村亮アナウンサーが14日、脳出血のため入院先の都内の病院で死去した。54歳だった。葬儀は近親者で行うという。

 神奈川県茅ケ崎市出身。早大卒業後、1991年に入社。五輪や巨人戦、箱根駅伝など、同局のスポーツ番組を多数担当し、名実況を残した。2006年10月10日に行われた巨人−中日戦では、延長十二回に中日のウッズが放ったリーグ優勝を決定付けた一発を「痛烈! 一閃!」と伝えた。また、箱根駅伝では5区を走った順天堂大学の今井正人を「山の神、ここに降臨。その名は今井正人!」と実況し、「山の神」というフレーズを定着させた。

 訃報が伝えられると、元フジテレビの笠井信輔アナ(59)らアナウンサー仲間がSNSに次々と哀悼のコメントを書き込んだ。

 スポーツ界からも河村アナを悼む声が上がり、巨人の原辰徳監督は、「日本テレビを代表する素晴らしい実況アナウンサーでした」と談話を発表。青山学院大駅伝部の原晋監督も「残念無念。青学大駅伝部は河村アナに育てていただきました。謹んでお悔やみ申し上げます」とツイッターに投稿した。

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勉強熱心な職人

 また河村アナは、スポーツ実況だけでなく、同局の「電波少年」「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」などのバラエティーでも活躍。元日本テレビの土屋敏男氏は「電波少年も雷波少年もウリナリも河村がいなかったら成立しなかった。あんなにうまく発表を引っ張れるやつはいなかった。そして一緒に喜んだ! 本当にありがとう!」とスポーツ新聞の取材に答えている。さる日テレ関係者はこう話す。

「勉強熱心で努力家。実直を絵に描いたような人でまさに職人という感じでした。スポーツでも丁寧に取材をした上で実況に臨む。バラエティー番組でも他の出演者の分まで台本を読み込んでくる。人望は厚く、局内で河村さんのことを悪く言う人はいませんでした。後輩の面倒見もよく、羽鳥アナや桝アナも、入社時、河村さんを目標にしていたと聞いています。相当、お酒好きのようでしたが、こんなに早く逝ってしまうとは……。アナウンス室にとっても損失は大きすぎる。奥さんも日テレの方ですが、本当に胸が痛みます」

 多くの人に愛された名アナウンサーとの早すぎる別れに、悲しみの声が広がっている。 

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