お笑いコンビ「U字工事」が27日放送のフジテレビ「私のバカせまい史」(木曜後9・00)に出演し、元祖“ビジネスなまり”芸能人を発表する場面があった。
コンビが今回取り上げたのが「ビジネスなまり」の歴史。標準語が喋られるにも関わらず、あえてなまることで仕事をもらう芸能人を指すという。自身らも強烈な方言漫才で人気を博し、栃木県の観光大使歴は15年にもなる。
そして番組が調べたところ、まだなまりが恥ずかしいとされていた1973年に第1号歌手がデビュー。それは青森出身のアイドル歌手「山岡英二」だった。当時はゼロなまりであったが、いつしか改名し84年に誰もが知るあの曲をリリース。その人物こそ、吉幾三だった。「俺ら東京さ行くだ」の売上は35万枚を超える大ヒット、NHK大河ドラマにも津軽弁の役で大抜てきされた。
スタジオで「えぇ〜っ!」という驚きの声が響くなか、タレント・伊集院光は「その前に『俺はぜったい!プレスリー』っていう曲でなまり全面で出てきて“アレ?”って思ったのは覚えてる」と語る。これを聞いたMCのバカリズムは「戦略性があったんだ」とうなずいていた。