「芯が強い、頑固」「どこにでもいる“おじさん”」友人ら語る栗山監督…共に歩んだ荒木大輔氏が語る大谷翔平の二刀流を貫いた“信じる力”【WBC】

侍ジャパンをWBC優勝に導き、選手を“信じ”続けた栗山英樹監督(61)。人を惹きつけ、成長に導く、その原点はどこにあったのでしょうか?
「めざまし8」は栗山監督にゆかりのある人物らを取材しました。

栗山“先生” 現役時代からがむしゃらな姿

ヤクルトスワローズの元チームメイトで、栗山監督を選手時代から知る橋上秀樹氏は、栗山監督の人柄について話します。

新潟アルビレックスBC 橋上秀樹 監督:
やっぱり栗山監督の、周りから色々言われながら、でも、自分自身でこうだと決めたことに対する信念の強さ。普段、温厚で優しいっていう中に、芯の強さというか頑固な部分というか、そういうものがあるんだなあって。

信念を貫く…その最たる例が、大谷翔平選手の「二刀流」の実現でした。

新潟アルビレックスBC 橋上秀樹 監督:
やはり二刀流は無理だっていう世論の論調だったところを、(栗山監督は)「俺はどんなことがあっても翔平の二刀流は貫くんだ」って。

大谷選手を信じて、育て上げた結果、「二刀流」でメジャーを席巻。ついには世界の頂に立ちました。

栗山監督のヤクルトスワローズ選手時代について、橋上氏は…。

新潟アルビレックスBC 橋上秀樹 監督:
常にやっぱりがむしゃらに、一生懸命やってられましたよね。一番最後まで残って練習されたっていうのは、結局、やっぱり、自分が一番下手なんでって。ひたすら練習するしかないっていうのは、口癖のように言っていた印象があります。

大学卒業後にテスト生からはい上がり、プロ入りした栗山監督は、誰よりもがむしゃらに自分を追い込んでいたといいます。

新潟アルビレックスBC 橋上秀樹 監督:
当時、栗山さんに対して、後輩の選手は「先生」って言っていた印象があります。
先輩後輩の縦社会が当時は特に強かった時代なので、そんな中でも横柄に接することもなく、親身になっていろんな話を聞いてくれるんですよ。アドバイスをしてくれたりだとか。
すべてのものに対して真剣に、いろいろ考えてくれてるっていうのは、その当時から非常に感じましたね。

現役時代から「先生」と呼ばれるほど、周囲の選手から信頼されていたといいます。
自身はメニエール病やけがなどの影響から、プロ7年目で現役を引退したものの、2011年に「先生」から「監督」へ。日本ハムファイターズを率い、後進の育成とチームの勝利を追い求めてきました。

栗山監督は著書に、“監督としての信念”をこう綴っています。

「嫌われることも絶対にプラスになる。いつかわかってもらえるときがくればいい。組織のトップは、責任を取るのが仕事だと言われる。もし自分が進退をかけることで、選手のためになれることがあるんだったら、そんなに幸せなことはない。責任は「取る」ものではなく「果たす」もの」
(©「稚心を去る」栗山英樹・著 JBpress刊行)

世界一の指揮官の意外な姿「どこにでもいる“おじさん”」

「長靴履いてジャージ着て、もうどこにでもいるおじさんという感じです」

栗山監督を「どこにでもいるおじさん」と語るのは、栗山監督が暮らす北海道・栗山町で20年来、親交がある友人です。

栗山監督の20年来の友人:
その“おじさん”は、もう素晴らしい方で、誰とでも気さくにしゃべってくれるし、本当に皆さんが喜んでくれることを常にしてくれるっていう、そういう素晴らしい方です。

盟友・荒木大輔が語る栗山監督…今後の活動は?

栗山監督と、現役時代や指導者としても同じユニフォームに袖を通した、盟友・荒木大輔氏。

ーー栗山監督が帰国したときの表情はいかがでしたか?
荒木大輔 氏:
WBCがスタートした頃は、疲れた表情がものすごく気になってて。体調面の心配をものすごくしていたんですけども、すっかり戻りましたね。

ーー元々メジャーを希望していた大谷翔平選手を、「二刀流でいける」と口説き落とすと言うことは、栗山監督しかできなかったことでしょうか?
まずできないと思います。当時、私はヤクルトスワローズでチーフコーチをしていたんですけど、有能な選手が高校生にいるということで。ただ僕らも「投手・大谷」という感覚でしかいなかったですね。当時僕らはセ・リーグだったので、登板したときには、良いバッティングを投げたときにいかしてもらおうと。そのぐらいのプランでしかなかったので、全く二刀流というのは「無理だろう」という感じですよね。

ーー栗山監督だから押し通すことができた?
そうですね。栗山監督というのは、先入観を持たない監督で、選手たちの能力を見極めて可能性をものすごく探っていく監督なので。できるという可能性があるものを絶対に諦めない。頑固な面も持ち合わせている監督なので、世間が何を言おうが自分が思ったことは最後まで貫き通す、そういう監督ですね。

ーー栗山監督の選手との関わり方、同じ監督経験者としていかがですか?
栗山監督の信念、信じる気持ちなんですけども、なかなかできることではないと思うんです。監督としてチームも勝たせなくてはいけないということもありますし、選手も育てなくてはいけない。
そういうこともあると思うんですが、やはりチームを勝たせるのが監督の最大の仕事だと思うので、そういうときに、切羽詰まったときに、村上選手のようなバッターでも、送りバントをしてチャンスを作ってチームを勝たせるんだと、(そういう戦略が)絶対出てくるはずなんですけど、それもなく最後まで貫き通したあたりが、世界一に導いた監督なのかなと思います。

ーー試合後に「個人的には最後のユニホームになると思う」と話した栗山監督ですが、今後どのような活躍を期待しますか?
監督はそうおっしゃっているんですけども、あの方は野球を離れたら駄目になっちゃうから。常に動いていないといけないと言うか。
だから、僕らからすればやはり体のことが心配なので、ゆっくりしてほしいんですよ。1週間でも10日でも。本当に野球から離れてということをしてほしいのですが、おそらく栗山監督は、1日2日ぐらいがせいぜい限界じゃないかと思うんですよ。常に人のこととか、野球界のこととか考える方なので、(すぐに動きだすのは)やめてもらいたいんですけど、常に動く方なので、すぐ動くと思います。
ですから、今後はやはり立場的にはコミッショナーみたいな、ああいう位置についてもらって。プロ野球だけではなく、子供たちの野球から、学生野球から、海外の野球まで、全部引っ張っていってもらいたいぐらいの。僕らの先輩ですから、頑張ってもらいたいんですけども。

ーー野球から離れた栗山監督はどんな人?
「その辺にいるおっちゃん」です。だから僕らからすると、ユニホーム着ているときは監督なんですが、いつもはもう「栗さん」で。後輩たちが、全部が寄っていく栗さんですから。ファンの方でもちょっと長く外で待っていると、「暗いから気をつけて帰りなよ」とそういう言葉が自然と出てくる。そういう方なので、憎らしいです、僕らからすると。

(めざまし8 3月24日放送)

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