「唐組」劇団員も悲しみの声「気持ちよく寝ているようなお顔でした…」唐十郎さん死去受けて取材応じる

 劇団「唐組」座長代行の久保井研が5日、同劇団主宰の唐十郎(本名・大鶴義英)さんが4日に急性硬膜下出血のため死去したことを受けて、東京・新宿花園神社で囲み取材に応じた。

 久保は、新宿花園神社の紅テント前で取材に応じ「2日にここで(テントの)建込みを我々が行っていた。その際に唐さんの奥様から、1日に自宅で倒れて入院したという話を聞きました。長男の大鶴義丹さんや家族の皆さんが最期を看取られました。我々も幹部役者も(死去後に)会いに行き、気持ちよく寝ているようなお顔でした」と明かした。

 直近で唐さんと会ったのは、4月13日に「泥人魚」の地方巡業に出発する前だったといい「行って参ります、とお伝えしに行きました。唐さんは10メートルほど歩いて来て『いってらっしゃい』と声をかけてくださった。思いの外、足取りもしっかりしていた。東京で芝居をみてくださるのを楽しみにしていたが、かないませんでした」と沈痛な胸の内を吐露した。

 唐さんから受け継いだ言葉や芝居への情熱について「頂いた全部の言葉が宝もの。『飯を食うように芝居をやる』という言葉が特に印象に残っています。自分の作品で涙の鼻水でいっぱいになっている唐さんのお顔をみたこともある。本当に芝居が好きな方でした」としのんだ。

 この日は、同神社紅テントで、唐さんの代表作「泥人魚」の初日を迎える。「公演は予定通り行います。唐さんはテントと共に居ると思う。客席の後ろで見守ってくれるはず」と前を向いた。他の劇団員も「急なことでしたので…」と言葉少なげに悲しみをあらわに。それでも、劇団スタッフらはテントで同公演開幕への準備を進めていた。

 唐さんは今1日午前に自宅で転倒し、東京・中野区内の病院に救急搬送された。劇団の公式サイトはこの日、「4日午後9時1分、(右)急性硬膜下出血のため永眠致しました」と発表した。84歳だった。通夜、葬儀は近親者のみで執り行う予定で、日程などは未定という。

 唐さんは、明治大学文学部演劇学科を卒業後、63年に劇団「シチュエーションの会」(後の状況劇場)を旗揚げ。紅(あか)テントで芝居を上演して「アングラ演劇の旗手」と称された。83年には「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞。寺山修司氏との乱闘騒ぎや映画撮影で実弾を使用するなど武勇伝も残している。最後に紅テントの芝居にたったのは、2012年5月に上演された「海星」だった。

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