藤井フミヤ(59)が3日放送のラジオ番組でチェッカーズ時代について語り、話題になっている。1992年の紅白歌合戦出場を最後に解散、以来30年。83年に「ギザギザハートの子守唄」でデビューしてから約40年が経った。
「バンドってね、つくった時に解散のことって考えてるんですよ。一生バンドでやっていこうとはあんま思ってないっていうか。解散するんだったら絶対カッコイイ時っていうか、盛り上がってる時っていうか」
最後の紅白の際は「久留米で組んだバンドが、終わりが紅白、良かったんじゃねえか」と話し、「どんなときも明るく、大丈夫、大丈夫って。全部プラス思考というか、マイナス思考ゼロみたいな」と約10年の活動期間を振り返った。
■フミヤは11日で還暦に
フミヤが高校生だったデビュー前、福岡県久留米市ではアマチュアバンドがブームで、週末のダンスパーティーにこぞって出演していた。
フミヤは洋楽ばかり聴いていて、チェッカーズはもともとドゥーワップのバンドとしてスタート。「黒のダボダボのスーツを着ていた」という。デビューのきっかけは1981年、ヤマハ・ライトミュージック・コンテスト九州地区大会でのグランプリ受賞だったのはファンならお馴染みの話。音楽ライターはこう言う。
「チェッカーズの久留米からの上京物語には、もうひとつエピソードがあります。フミヤさんは高1のときに知り合い、18歳から交際する恋人がいて、このA子さんが東京の学校に通い始めたため、それを追いかけて、A子さん会いたさに上京してきたところも大きかったのだとか。A子さんは今の奥さんで、いまも仲むつまじくされていますけど、A子さんがいなければ、就職した国鉄に残り、国鉄職員としての人生を歩んだ可能性もあるかもしれません」
解散後もソロとして活躍し、今月11日の誕生日で還暦を迎える。
ファン待望の再結成については「クロベエがね、いなくなっちゃったんで。ちょっとないですね」とし、2004年に亡くなったドラムス担当のクロベエこと、故・徳永善也さん不在での再結成はないと語った。フミヤは誕生日に日本武道館でバースデーライブを開くというが、再結成はファンにとっては見果てぬ夢といえるだろう。