伊達さんは高校卒業後の1989年にプロ転向。94年には全豪オープン、95年には全仏オープンで、96年には全英オープンでもベスト4となったが、9月に現役を引退。その後2008年に現役復帰、17年に再び引退した。
25歳で引退を決意した理由について、伊達さんは「とにかくもう疲れてた。本当にテニスが、それこそ嫌いだった。最後は」と告白。プロ入り当初は「(世界ランキング)トップ10を目指してたけど」としながらも、「トップ10に入ったとたんにランキング表一切見なくなった。もう嫌で嫌で。強くなりたいとか、グランドスラム優勝したい以上に疲れてたから、そこから解放されるんであれば辞めたいと思って」と説明した。
「強い伊達公子」のイメージに疲れていたと指摘されると、「とにかくメディアに追われる、私生活も追われてたから、もうカーチェイスもいっぱいしたし」と苦笑した。現役引退後はさまざまな習い事に挑戦。「お茶、ペン習字、料理、着付け、ぬか漬けも漬けた。あと美白に目覚めたときもあった。また黒いけどね」とし、それまでできなかったことを「全部やった」と満足気に語った。
それでどうして現役復帰したのかと聞かれると、「マイクよ」と2001年に結婚、16年に引退した元レーシングドライバーのミハエル・クルムさんの影響が大きかったと伊達。「子供いらないって言ってて、そろそろ作ろうかって言ったらできなくて。子供欲しいと思ったらできると思ってたのに、できないってことに初めて気づいて。あれ、こんなはずじゃないんだけどってことから、ちょっと運動控えなさいとかすることもあって」と回顧。
それでも自身の体が変わって行くことに耐えられず、「マイクが“じゃあ運動したらダメだからね”って仕事行った瞬間腹筋始めたりして。帰って来たら“何やってんだ”って」と苦笑、「そう子作りに励んでたけど、あまりにも私がストレスを抱えてる姿に見かねて、エキシビジョン(マッチ)の話がある中、マイクが“やれば”って。それで自分が無意識に楽しんでることに気付かされた」と笑顔で語った。
「でもちょこっと大会、全日本選手権出るぐらいのはずが、ランキングがついてきちゃったから、また海外行き始めたらスイッチ入っちゃった」と続けた。