アメリカ・ロサンゼルスの街をスケートボードで颯爽と駆け抜けるカンヤ・セッサーさん。彼女は両脚を持たずに生まれ、右手の指も3本しかない。
その原因は先天性四肢欠損症。1992年、タイで生まれたカンヤさんは生まれてすぐ両親に捨てられ、5歳の時にアメリカ人夫婦の養子となりアメリカ・オレゴン州ポートランドへ。父は科学者、母は障害を持つ子ども達に数学と英語を教える教師だった。
そんな両親の元、愛情いっぱいに育てられ明るい女の子に成長したカンヤさん。運動神経がよく、14歳から競技用車椅子に挑戦。ワールドカップに出場しトラック競技でメダルを獲得。2012年にはロンドンパラリンピックにも出場し、そのハツラツとした姿が企業の目に留まりスポーツウェアのモデルに抜擢。大手スポーツブランドからもオファーが来るようになった。
そんな彼女を当番組は以前取材していた。取材当時は親元を離れ、ロサンゼルスで本格的に洋服や水着、下着のモデルを行っていた。カンヤさんは「私がモデルをすることで違う観点の美しさが見せられると思います。障害がある人は引け目を感じて引きこもってしまうことが多いですが、私は外に出て自分を表現したいんです。私だって普通の女の子なんだと周りに知って欲しい」と語っていた。
彼女は何でも一人でこなし、車イスに乗り込むと食材の買い出しにスーパーへ。品物を持ち運ぶにも一切人の手を借りず重い水も楽に持ち上げる腕力。家の中でも、自分でできることはルームメイトには頼まないという。取材時も昼食の準備をする様子や、洗顔・歯磨き・トイレも一人で行う様子を見せてくれた。
以前暮らしていたポートランドでは車の運転もしていたというカンヤさん。取材時は車を持っていなかったが、代わりに彼女の強い味方となったのがスケートボード。車いすより小回りがきくので買い物以外のお出かけはスケートボードを使うという。スケートボードのおかげで彼女の行動範囲は広がった。人波の中を颯爽と走り抜けやって来たのはベニスビーチ。若者達や観光客でいつも賑わう場所だ。
皆が技を披露しあうスケートパーク。ここに通うようになって友達が増え、よりポジティブになれたと話すカンヤさん。たくさんの人に見られる事は彼女にとっては喜びだという。
取材当時、色んなことにチャレンジしたいのでまだ結婚や出産については考えていないがいずれ子供はほしいと語っていた彼女。
この取材から7年、今年で31歳になったというカンヤさんを再び取材に訪れた。現在もスケートボードは続けており、そしてスケートボードの大会で知り合った男性と半年前から交際しているという。
恋人のチャドさんは「彼女はポジティブで、自分を信じ、何でも成し遂げるところに惹かれたんだ。一緒にいると刺激されっぱなしだよ」と話す。
現在二人は同棲中で、今のカンヤさんに欠かせないのがキャスター付きのスツール。「高さがちょうどいいし小回りがきくし、随分楽になったわ」と話し、スツールを使い洗い物や料理も楽々こなす。
そして「友人が『ウォーキング・デッド』のスタントに私を紹介してくれたの」と、世界的大ヒットドラマ「ウォーキング・デッド」に出演しゾンビ役を熱演。これを機に女優を目指し始めたという。
さらに、なんと主役の一人の役をオファーされ来年から映画の撮影が始まるという。愛する人と大きな夢を手に入れたカンヤさん。これからも彼女の挑戦は続く。