2月20日、75歳で世を去った西郷輝彦は1964年のデビュー以来、「星のフラメンコ」「星娘」など数多くのヒット曲を放ち、橋幸夫、舟木一夫とともに「御三家」と呼ばれた日本のアイドルの元祖であり、俳優だった。二十年来、取材を続けてきた筆者も、九州男児らしい明るさと若々しい仕事ぶりにいつも励まされた一人である。
その代表作のひとつが連続ドラマ初主演作「どてらい男」。
昭和10年、福井から商人の街・大坂立売堀にでっち奉公にきた〝モーやん〟こと山下猛造が妬み、裏切り、時代の荒波など困難を乗り越え、商売人として成長していく。人気作家・花登筐が実在の機械卸「山善」の社長、山本猛夫をモデルに書いた連載小説を自ら脚色したドラマだ。
出演に際しては葛藤もあったという。自身の座長公演の演出を花登に頼んだ縁から、『これ、よかったら君で考えてるから、読んでみて』と原作の文庫本5冊を渡された西郷はその面白さに夢中になり一晩で読破。「ぜひ、やらせてください。この役は僕しかいません!」と出演を決意した。しかし大阪の関西テレビで撮影に入ると半年は歌番組には出られない。しかも戦前戦後を泥臭く生き抜く丸刈りの主人公は26歳の人気歌手の爽やかなイメージとはかけ離れている。
それでも出演を熱望した理由は、歌手として10年活動し、NHK紅白歌合戦にも出場しただけに次のステップとして俳優に挑戦したい気持ちがあったからだ。撮影に先立って断髪式を敢行。「新しい自分になれたと気持ちよかった」という感想は、いかにもこの人らしい。思い込んだら走り出す行動力は「どてらい男」そのままだ。
撮影は深夜に及ぶこともしばしば。さらに京都で時代劇の主演も始め、週3日は大阪、3日は京都というスケジュール。「寝る時間がないと言いながら、若くて元気がいいから仕事もできたし、よく飲んだなあ」と笑った。志村喬、大友柳太朗、笑福亭松鶴といった大先輩との出会いも宝物になったという。
踏んでも蹴られてもはい上がる男の熱いドラマは反響を呼び、最高視聴率は35・2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。「本編」に続き「戦後編」「激動編」「死闘編」「総決算編」で約3年半、全183話はまさに激闘だったが、このシリーズで西郷は俳優としての地位を確立した。 (ドラマ研究家)
■西郷輝彦(さいごう・てるひこ) 俳優、歌手。1947年2月5日、鹿児島県出身。64年2月、「君だけを」で歌手デビュー。橋幸夫、舟木一夫とともに「御三家」として人気を博し、「星のフラメンコ」などヒット曲も多数。2022年2月20日、75歳で死去。