堺正章 「紅白歌のベストテン」でダメ出ししていた未来の伝説的作詞家「大変有名な方。皆さんご存じ」

 タレント堺正章(77)が、1日放送のBS日テレ「あの頃テレビは熱かった!堺正章の昭和スタア同窓会」(後9・00)に出演し、昭和の人気歌番組を支えた意外な裏方について明かした。

 昭和から活躍するスターたちをゲストに、当時の芸能界の思い出話をトークする番組。松本伊代、森口博子に近藤真彦が加わり、昭和の音楽番組の思い出話に花を咲かせた。

 日本テレビ「NTV紅白歌のベストテン」「ザ・トップテン」など、数々の人気歌番組の司会を務めていた堺。69〜81年に放送された「紅白歌のベストテン」は、出演歌手たちがオープニングでコントを披露する演出だった。森口が「毎週コントやってたんですか?」と尋ねると、堺は「当日台本をいただく。そういう中、コント的なことをやっていたんですけど、“これオチないよね?”とか(ダメ出ししていた)」と返答。さらに「それを書いてた方、誰だと思います?大変有名な方。皆さん名前をご存じ」と、ヒント込みで質問した。

 一同から「秋元(康)さん?」と答えが出たが、不正解。堺は「阿久悠さんですよ。阿久悠さん」とまさかの正解を明かした。

 阿久さんといえば、昭和の人気歌手たちに詞を提供。ピンク・レディーの「UFO」「サウスポー」や沢田研二の「勝手にしやがれ」、都はるみの「北の宿から」、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」など、昭和を代表する数々の大ヒット曲を生み出した。しかし、当初は放送作家として同番組に携わっていたという。

 堺は「“阿久さん、これつまんないよ!”とか言って。作詞家になる前だから。放送作家だと思ってるから、“ダメだよ!これじゃつまらなくて。できないよ!おもしろいと思う?阿久さん”」と、阿久さんが書いたシナリオに痛烈なダメ出しをしていたといい、「“楽屋来い”とは言わないけど、それに近いような圧迫感を与えて」と回想した。

 阿久さんはその後、ピンク・レディーの楽曲などが大ヒットして一躍、時の人になった。堺は「その時はもう、歌詞を書いているわけですよ。その時は“阿久さん!”とか言えないじゃない?“先生、よろしくお願いします”って」と振り返り、笑わせた。

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