NHK大河ドラマ「光る君へ」第23回は「雪の舞うころ」。越前国(現在の福井県)に、父・藤原為時と共にいるまひろ(紫式部)。父娘を藤原宣孝が訪ねてくる場面が描かれていました。
宣孝は筑前守にも任じられた貴族ですが、清少納言(ファーストサマーウイカ)の随筆『枕草子』に登場することでも知られています。それによると、宣孝は御嶽(奈良県吉野。蔵王権現が祀られていた)詣(参拝)を、紫のとても濃い指貫(袴)・山吹色のケバケバしい服装で敢行したとのこと。その時の服装については、既にドラマで描かれていました。
当時、御嶽詣は「質素な身なりで行うべし」との慣行があったようですが、宣孝はそれを無視。「身をやつすのは、つまらぬこと。御嶽の権現が身をやつして参詣せよとは仰せになるまい」として、前述のように派手な格好で息子・隆光と参詣したのでした。ちなみに息子も派手な出立ちでした。
宣孝親子の目立つ格好は、参拝客の目を引いたようです。「この山道にこのような姿の人はこれまでいなかった」とあきれ返った人が多かったとのこと。
慣例に背き、派手な格好で参詣した宣孝に罰が降るかと思いきや、帰京から2カ月ほどした6月に、彼は筑前守に任じられたのでした。これを見聞した人々は「彼(宣孝)が言ったことに間違いはなかった」と噂したそうです。清少納言はこの逸話を「これは趣深く感じることではないが、ついでに書いた」と記載しています。
この逸話をもってして、清少納言は宣孝を「酷評」したと評されるのですが、酷評までは言い過ぎのように思います(「をしへて!佐多芳彦さん 〜清少納言が酷評! 藤原宣孝の派手な服装」NHK光る君へHP 2024・3・31)。繰り返すように「あわれなることにはあらねど」(感動、趣深く感じることではないが)とは書いていますが、世間の慣行を無視し、派手な格好で参詣した宣孝を清少納言は、どちらかと言うと、好奇の目で見ていたように感じます。
(歴史学者・濱田 浩一郎)