故・中尾彬さんらとともに、日活ニューフェース5期生として銀幕デビュー。62年の「激流に生きる男」で映画初主演を果たした。「伊豆の踊子」では吉永小百合の相手役を務め、知名度もアップ。しかし、その後は「男の紋章」シリーズなど、任侠映画への出演が多くなっていった。
映画からテレビに活躍の場を求めることになったのは、それが理由だという。「私の場合は日活で任侠映画をやってまして。明けても暮れても任侠、任侠で、パターンが一緒で、年に14、15本とか撮ったりするんですよ。もう煮詰まって煮詰まって…。他の仕事をしたくてしたくてしょうがないんですよ」。ところが、当時は大手映画会社による5社協定が結ばれていた時代。所属している映画会社以外の作品には、出ることはできなかった。
そんな時に声が掛かったのが、テレビだった。「たまたまテレビの方から“大河ドラマに出ませんか?”っていう話が来たんですよ。日活を辞めてもいい、クビになってもいいと思って、社長に直談判して、やらせて下さいって。それがきっかけでNHKの大河ドラマに…。『竜馬がゆく』の武市半平太という役で(出た)」と振り返った。
ところが、当時は映画が隆盛を誇った時代。放送を開始して10年ほどのテレビは、まだ画面が小さく迫力に欠けていたため、格下に見られていた。高橋も映画界から心ない声を受けたという。「もちろん言われました。ある監督さんからは、“テレビに出たからもう使わない”って言われました。圧倒的に下に見られてた。当時のテレビはこれくらい(小さい)ですから。こんな大画面に出ている役者が、何でこんなのに出るんだって言われた」。ジェスチャーで画面の大きさの違いを示しながら、説明していた。