明石家さんま(68)が1日夜、MBSラジオ「ヤングタウン土曜日」に出演。5月27日に膵がんのため亡くなった漫才師、今くるよさんをしのび、思い出を語った。
「もう、毎週、毎週、どんどん亡くなっていかれるんで。今回はくるよ姉さんが亡くなられた。大昔、漫才ブームの時、新幹線の移動も一緒やったりとか、お世話になったんですよ」
さんまはもともと、落語家笑福亭松之助さんの弟子。その松之助さんとくるよさん、亡くなった相方のいくよさんも仲が良かったため、入門当初からさんまは、距離が近かった。
「姉さん、会えば、いつもほめてくださるんですよ。ちょっと髪形(髪の毛)を切ると、すぐね。でも、答えがええ加減! 思いついたことを口にするんですよ。『いや、菅原文太やんか』『いや、霧のロンドンブリッジやんかいさ』とか。何も似てない。考えてない。表面だけで判断するんですよ」
ニックネームつけの達人と言われたくるよさん、いくよさんの思い出に触れた。とにかく、ほめ上手な先輩だったという。
「ノートにメモしてたりすると、『いや〜IT社長やんか』。うつむいて字書いてたら、それ」
くるよさんと初めて会ったのは、京都花月だった。師匠松之助さんの影響で、当初から「(本名の)杉本君て、かわいがってくれた」と言うが、その初対面の時だった。
「くるよ姉さん、ブラジャーの線が、まるーくなってたんですよね。で、『あの、ブラジャーんとこ、肩んとこ、ぼこってしてますよ』って。そしたら『言わんといて、固結びしてんねん』いうてね。あれが最初の会話でした」
初めて交わした会話を思い起こし、続けざまに最後の面会にも…。それは、22年4月、吉本興業110周年興行「伝説の一日」だった。
車いすで舞台に登場したくるよさんだったが、舞台裏では「それでも私のこと、ほめてくれてね。『かっこええやんかいさ』って、ほめていただいてね」と、分け隔てなく相手に接したくるよさんの人柄に感謝した。
つねに「明るく」を心がけていたくるよさんにならい、しのぶトークにも湿りっ気は一切なし。「とにかく、くるよ姉さんのご冥福をお祈りします! 姉さん、元気で!」と、独特のさんま節で、番組冒頭のトークを締めた。