3人兄弟の末っ子ながら上沼は「私だけダンボール製のランドセルだった」「兄弟って下になるほど甘くなるって言うけどうちは逆やってん」と苦労した子供時代を明かし、「ランドセルの恨みってあったんですよ」と口にした。
お笑いの世界に入るきっかけとなったのは「お姉ちゃんのコンビがおらんくなって“恵美子行け”って父に言われてお笑いの世界に入ったんですよ。それも実は恨んでるんですよ。“誰があの時代にお笑いなんてやりたいですか”って話ですよ」とコンビ結成は父の指示だったことを明かした。
共演の「シャンプーハット」てつじが「お姉さんがきつく断ってくれたらいいのにね」とつぶやくと「そうゆうことなんですよ!お姉ちゃんが“淡路島の役場に行く”って言ってたのに“夢がないなお前は”ってお姉ちゃんが父ちゃんに怒られて師匠のとこ弟子入りしてさ…」と不満を口にした。
また、「『北島三郎ショー』の前座で行ってよくしゃべられへんから(漫才に)歌入れてやってたわけですよ。そしたら音のモニターが入っていて北島さんが聞いていらっしゃった」「“どっちが歌ってるんだ”って聞かれて“私です”って言ったら“くっだらない漫才やめなさい”って言われて…“僕の家から歌手になりなさい”と言われた」と明かした。
「“ひゃっほーう”とうれしくなったけれど、お姉ちゃんが殺される前の闘牛の牛みたいな顔になったんですよ、何とも言えない悲しみの顔だった」と姉の表情が忘れられないという。「北島さんのお兄さんやったかな?2回ほど大阪の方に出向いてくれましたね」と本気の勧誘だったようだが、「でもお姉ちゃんが牛の顔するから…」と断ったという。
「お姉ちゃんは未だに“なあ恵美子、(漫才)やりたなかったな”とか言ってくる。歌番組に出たときには“あんた上手いな、恵美子、歌手の世界の方が良かったな”と今ごろ言ってくる、今ごろ!」と苦笑し、てつじも「牛の顔してたくせに…腹立ってきた」と悪ノリしていた。