芸人・玉袋筋太郎(56)が激動の日々をつづった新著「美しく枯れる。」(KADOKAWA)が28日に出版された。所属事務所から離れ、師匠・ビートたけし(77)や漫才コンビ「浅草キッド」の相方・水道橋博士(61)との距離も遠のき、私生活では長年連れ添った妻が家を出た一方、初孫が誕生という悲喜こもごもがあった。50代も半ばを過ぎた玉袋は人生のテーマを「美しく枯れる。」という言葉に託し、よろず〜ニュースの取材に思いを語った。
前著「粋な男たち」から5年半。その間、コロナ禍を挟み、公私にわたって「人生って難しい」と実感する現実に直面した。
「師匠が自分の会社を立ち上げて独立し、博士が(参議院)選挙に出るとか、『いつまでも一緒』というのは『甘ったれた現実』なんだということが分かりました」
オフィス北野がなくなり、水道橋は「たけし軍団」の先輩芸人らが立ち上げた新会社に残り、自身は独立してフリーに。玉袋は「それぞれの道があり、お互いの『義』がある」と当サイトに語る。
本書では、師匠に事務所を辞めたことを報告した別れ際、投げかけられた「頑張れよ。漫才も辞めるなよ」という言葉に涙をこらえた場面が描かれている。浅草キッドは無期限活動停止状態だが、玉袋は「(師匠の言葉は)引っかかってます。この本にもコンビがどうなるとか結末は書いてないし、そこは玉虫色です」と含みを持たせた。
6年前に妻が家を出たという。
「独立して会社を立ち上げ、2人で頑張っていこうという時だった。俺の〝ミス〟だったんだけど、どうしよう…という気持ちになりましたね。26歳で結婚し、俺は50になっていた。現場に1人で行って、誰もいない部屋に1人で帰る日々。でも、どうにか土俵際いっぱい持ちこたえた。カミさんは個人事務所の社長を続けてくれて、週に2、3回は洗濯に来てくれる。それも今年で2歳になる『孫』という宝物がいるから。落語の『子はかすがい』じゃないけど、『孫はかすがい』。お宮参りにはカミさんと一緒に行くんだから」。別居状態のまま、新たな形でパートナーとなった。
孫の父である長男にも感謝する。再婚だった妻の連れ子で、実父に土下座して〝重いもの〟を託されて以降、父子として向き合った。「息子はまっすぐ育ってくれた。今はセガレ夫婦や孫から教わっています」
その孫から、戦死した祖父を思い、自死した父のことも考える。「戦争で死んだ爺ちゃん、将来、孫になる俺を抱っこしたかっただろうなと。親父のことはショックだった。俺、仕事ができるようになって、お楽しみはこれからだぜと会いに行った、その日に死んじゃったから、参った。そんな俺にも孫ができた。人間って繰り返しなんだなってことを学びますね」
母の認知症も本書につづった。
「泣きつきたい時にオフクロの施設に面会しに行って、『つらいんだよ』と言うと、ボケてるのに『頑張れ、頑張れ』って言ってくれた。あれはこたえましたね。ポケても親は親だなと。自宅で介護してたんだけど、施設に送ることになった時はつらかった。『親を捨てたような気持ちでいたたまれない』ってマムシ師匠に打ち明けたら、『(介護の)プロがいるんだから、そういう所に親を預けるのは悪いことじゃないし、むしろ、いいことしたんだから、落ち込むことない』と言ってもらえて救われた」
〝マムシ師匠〟とは毒蝮三太夫。玉袋は「被差別芸名の大先輩」とリスペクトする。TBS系特撮番組「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」に隊員役で出演した「石井伊吉(いよし)」は、日本テレビ系演芸番組「笑点」に座布団運び役で出演した際に初代司会者の立川談志から強烈な芸名を与えられた。新宿育ちの「赤江祐一」少年も師匠の命名で公共放送ではNG案件になった。
「(毒蝮が席亭を務める)『マムちゃん寄席』にも出させてもらったり、仕事や楽屋も一緒で、その時に話してくれることが血となり肉となっています」。毒蝮は31日の誕生日で88歳の米寿を迎える。「いい枯れ方だよな。偉大すぎる。その背中を見せてもらったというのは格別なことですよ」
人生後半戦の歩き方を模索する。
「俺は1967年産のポンコツ車。人生のワインディング・ロード(曲がりくねった道)を走ってます。美しく枯れるのか、朽ち果てるのか。自分を見つめ直すにはいい本ができたなと」
一般社団法人「全日本スナック連盟」会長にして東京・赤坂で実店舗「スナック玉ちゃん」を営む。19年開始のレギュラー番組「町中華で飲ろうぜ」(BS−TBS)も好評で「スナックと町中華の両輪がうまく回っている」。競輪の予想も続けている。30日には恒例のイベント「スナック玉ちゃん」を東京・渋谷で開催する。
「あと3年で還暦。この本が評判良かったら、60代で第3弾を出したい。これから、どう枯れていくか。とにかく、原寸大で。玉、丸出しでいきますよ」。そう言い残し、ぐいっとビールを飲み干した。
(デイリースポーツ/よろず〜ニュース・北村 泰介)